旧満州のことを調べていくなら、そのうちきっと彼女に出会うだろうと思っていたが、先日やっと彼女の『李香蘭 私の半生』が手に入った。高島俊男が『本と中国と日本人』の中で言う「まあ自民党のタレント議員になるんだからどうせロクな女じゃない」という先入観を私も共有していたのだが、その高島がこう言い直しているのを見て、読む気になったのである。「これはおもしろかった!わたしは、いたるところで感動しながら、これはもしかしたら『福翁自伝』や河上肇『自叙伝』に匹敵するほどの日本の自伝の傑作ではあるまいか、と思いつつ読んだ」。
文庫本にもなっているが、敢えて元の版(古本)を求めて正解であった。貴重な写真が相当数収録されているからである。
以前から美しい人だなとは思っていたが、今回改めて往時の写真を見てその感を深くした。こういう「スター」はもう出てこないのではなかろうか。今年85歳のはずだが、お元気なのだろうか。実はまだぱらぱらとしか見ていないのだが、こんな箇所にぶつかってたちまち考えさせられてしまう。初めて祖国日本を訪れた39年、19歳のときのことである。
「水上警察の係官が乗船してきて旅券の検閲がはじまった…旅券をさしだすと、警官は私の顔と見くらべながら吐き出すようにどなった。《貴様!それでも日本人か》。私の旅券には(山口淑子 芸名・李香蘭))と記載してあったのである。
《おい、その格好はなんだ、ええ?》彼は私の中国服を指さして舌打ちした。《いいか、日本人は一等国民だぞ。三等国民のチャンコロの服を着て、支那語なぞしゃべって、それで貴様、恥ずかしくないのか》」
(ここらあたりの口調は、何かというと「民度の低さ」をあげつらうどこかの知事さんにそっくり)。
日本人でありながら、いわば国策として可愛い満州娘として売り出された彼女の数奇な運命は、幻の偽満州帝国の命運と重なって、まさに波乱万丈の物語を構成している。しかし彼女が単なる操り人形でなかったことは、先の下関での強烈な被差別体験から多くのものを学び取ったことからも了解できる(最近の自民党幹部たちの対中国発言をどう考えているだろう)。
彼女が撫順育ち(生まれは瀋陽近郊だが)であることを本書によって初めて知った。この六月に、息子の嫁の実家を訪ねて撫順近郊に行く。李香蘭の幼少期の風景を合わせて偲ぶことにしよう。