書庫幻想その三

今朝瀋陽を発って成田に帰ってきた息子からメールが届いた。先日の結婚式当日、やはり朝方の雨で、部落への道が消えてしまったらしい。「穎美ちゃんの叔父の家に弟と三人泊まって、当日早朝に式を挙げる穎美ちゃんの実家に車で向かった。川の増水でパパたちが行った時の道が無くなってしまっていて、車を降りて、村の男の人達総出で2台の作業用の無蓋のトラクターの荷台にみんな乗せて、川を渡った。途中、川のど真ん中で車がはまって動かなくなってしまい、村人が川の中に飛び込んでワイヤーを使って前のトラクターで引っ張ってようやく川を渡った。映画でも見られないような英雄的な行動だったよ。結婚式では東の方角に向かって穎美ちゃんと、日本のパパ、ママに感謝の礼をしました。この六日間、本当に中国の人たちの温かい心に触れ、感化されました。自分も変わらなくてはと思った」。
 何よりも彼の最後の言葉を待っていた。長い道のりだったけれど、これでようやく前方に光が見えてきた。「ああそうか、生きるってことはべつだん複雑なことではないんだ。みんなそれぞれが、自分に与えられた能力やチャンスを精一杯使って、謙虚に、ゆっくり自分のペースで歩いていけばいいんだ。他人の目や評価なんていっさい気にする必要なんてないんだ」という実に簡単なことが分かったら、いつでもいい、電話をかけてこい、と半ば冗談で彼に言った時から、たっぷり10年は経ったろうか。もう電話を待つことは必要ないだろう。
 で、昨日の続きである。長年追い求めてきた「スペイン的生の思想」は、安藤昌益や二宮尊徳、それがちと難しいとしても、少なくとも武田泰淳や竹内好の思想をくぐりぬけることによって、うまく中国文化や思想と実りある対話が可能になるのではないか。
 しかし以上は、いわば大まかな枠組みであって、それの具体的検証の場は、今ここで私自身が日々苦闘している「日常的生」であり、家族、とりわけ新たに加わった新しい家族と共なる、これから10年、20年、願わくは健康に恵まれての25年、の余生である。そしてそれは当然のように、来し方と深く絡み合っていて、これまで考えてもみなかったような形で、「過去」が大きな意味を持つようになってきた。具体的に言うと、あたら33歳の若さで辺境の地・熱河で無念の死を迎えた父の「思い」をなんとか知りたいという、不思議な願いに繋がっている。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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