巴金の死

十月一八日付けの朝日新聞によれば、17日、現代中国文壇の最長老で中国作家協会主席の巴金氏が上海市内の病院で死去したという。最近彼の作品を読み始めたばかりで、彼が今もなお生きていたとは正直知らなかったから、いろんな意味で驚いている。ともあれ享年100歳と、まさに大往生である。実際、中国の多くの作家たちと同じくあの文化大革命の大波に翻弄されて長い不遇の時代を耐えてのこの長命には驚かされる。日本の作家にはちょっと真似できないのでは。
 彼の随想録を読むと、中島健蔵氏や水上勉氏など日本人作家と深い友情で結ばれていたことを知って感動させられる。国交が回復していない時期から、両国の作家たちが強い信頼関係を持ち続けていたことを、いまどれだけの人が覚えているであろうか。時あたかも小泉純一郎がなんともおそまつで中途半端なヤスクニ参拝をしたことと重なって、実に情けないことになっている両国関係に暗澹たる思いを禁じえない。
 この際、手元に集めた彼の小説やらエッセイを読むつもりだが、どうしても原本も手に入れたくなって、『モノディアロゴス』の版元「行路社」に近い山中で中国関係の本を商う「古本あい古屋」に中国語版『家/春/秋 《激流三部作》』3冊(人民文学出版社)と『随想録』(生活・讀書・新知三聯書店)を注文した。もちろんこれらは、ようやく2週間後あたりに来日できるようになった息子の嫁に読んでもらうためでもある。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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