このところネットで偶然見つけた中国良品直販店「ジェーシーヒア(JChere)」を利用して日本文学の翻訳書などを購入している。もちろん私自身今はまだ(?)中国語を読めないので、貞房文庫に登録してから長野に住む息子の嫁に送っているのだが。そんな本の中に『源氏物語』三冊本があった。簡易装丁なのでさっそく背革布表紙の豪華合本に仕上げた。布表紙などと簡単に言ってのけたが、布といってもそんじょそこらの粗布ではなく、おそらくはバッパさんの、黒い布地に銀糸で木の枝をあしらった古い帯地なのだ(先日タンスの引き出し奥から見つけ出しておいたもので無断借用、いや無断拝借である)。さてしかし嫁には送ったものの、私自身は恥ずかしながら読んでいないことを白状しなければならない。『平家物語』の方は大昔大感激で全巻読みきった経験はあるが、『源氏物語』の方は、たしか広島にいた時、今は亡き広大の稲賀敬二先生に部分的に教えていただいただけで、以後は一生読むことはあるまい、と思っていた。
だが人に読めと勧めながら、自身が読んでいないのはやはり按配がよろしくない。それで思い立ったのが、原文ではなく現代語訳で読むことである。たしか円地文子のもの、近くは瀬戸内寂聴のものがあったはずだが、この際女流(?)は敬遠して谷崎潤一郎のものにしようと思った。ネットの古本屋さんで全一巻愛蔵版というものを見つけた。新書版のものは見たことがあるが(正確に言えば下の書棚のどこかに途中の巻二冊ほどがあったはず)、全一巻となるとどんなものか見当もつかなかったのだが、届いてみてびっくりした。教科書大の布表紙、なんと一六九二ページの大冊である。
もう手元にないのではっきりしないが、『堂吉詞提(ドン・キホーテ)』全編の場合も中国語訳では九〇〇ページぐらいではなかったか。やはり中国語の方が、日本語より文字数に比較して意味内容が数段多いのであろうか。
昨朝、つねづね警戒し恐れていた事態、つまり自分が病気になったり怪我をしたりすること、の後の方、すなわちギックリ腰になってしまい、腰を曲げながら家事をするという情けない事態に陥っている。そんなときに読書でもないが、いやかえって気分転換になるのでは、と思って、その『源氏物語』を読みはじめたのである。机の上では場所ふさぎになるので足元に置いた『源氏』を、ちょっと怖い姿勢で机の上に持ち上げ、さておもむろに読み始めたのだが、谷崎の力量なのか、これがなかなか面白いのである。古典を読む、というような堅苦しさは感じられず、読解力の落ちた私にもすんなり入ってくるのが嬉しい。さていつまで続くか。読破などと気負わず、ゆっくりちびちび楽しみながら読んでみよう。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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