最近「モノディアロゴス」を書かなくなった理由の一つ、いや最大の理由は、書いたものをすぐ妻に読ませてその反応を確かめるというささやかな楽しみがなくなったからではないか、とふと思った。読書力(読解力?)も読書量も私の上を行っていた妻が、ここ二年のあいだにすっかり読めなくなってしまったのだ。一生掛かっても読みきれないね、などと買い集めた本の背を見ながら、だれにともなくつぶやき、歳をとってからの読書を楽しみにしていた彼女のことを考えると、残念というか悲しいというか、やり場の無い悔しさがこみ上げてくる。いや本人の方がはるかに悔しいはずだ。寝室の鴨居の上二面にしつらえた棚には、未読のものも含めて推理小説(文庫本)がびっしり詰まっている。一時期、夫婦で推理小説にハマったことがあり、競って読み漁ったことなど、いま考えると夢のようだ。
昨年初夏、老母と息子の嫁と四人で十勝に旅行したおり、田舎町で診療所を開いている従弟から、音読がいいよ、と勧められたのだが、それも続けられなかった。私の方でももっと本気になって世話すべきだとは思うが、それほど切迫感が無かったからか、あるいは結局は自分がエゴイストだったからか。恥かしいけれど後者だろう。だからハンディを背負った連れ合いのために、いろんな手段を駆使してリハビリに努めている人の話をテレビなどで見ると、恥かしくなる。恥かしくなるだけではどうしようもないが。
一昨日の「朝日」に、「アルツハイマー原因物質除去ワクチン開発」の文字が第一面をかざっていたが、肝心の実用化の日程については曖昧なままである。
でも不思議な病気だ。記憶力や判断力は劣化の一途をたどるのだが感情的な面での人格は保たれていて不変だ。私は誰か(自分についてもまた相手についても)ときに分からなくなるが、かといってまったくの闇に取り残されているわけではない。自分や相手を包み込む大きな関係性の皮膜のようなものがあって、その中でそれなりに安定している。また周りから見れば脈絡も意味も無い行為であっても、彼女なりに筋が通った行為なのだ。
たとえば評判のいい病院や医者を求めて、全国行脚も辞さないくらいの熱意(愛情?)があってしかるべきではないか、との声が自分の中で聞こえないでもない。いやそれ以前に、果たして認知症かどうかさえ調べていなのである。そこらへんのことはちょっと説明(弁明?)が難しいが、どこかの専門医を尋ねて、何とかというアルファベットの頭文字が三つか四つ並んだ精密器具で調べてもらい、何時間も寒い(暖房が通っているかも知れないが少なくとも心理的には)待合室で待たされたあとで偉い医者の前に出頭し、「はい間違いなく認知症です」との宣告を受けて、それでどうした? 効果的な治療などない以上、あとはその「認定書」を「当局」に提出してしかるべき補助〈金〉を受けるだけではないか。ヘルパーさんとかが恩着せがましく(こちらの僻みか?)家に出入りし…。そんなことならまだ私自身が元気なあいだは…
要するに私はけっして諦めたり降参などしていない、闘っているのだ(と言いたいわけである)。毎日かならず妻と散歩を励行しているのもその一環である。たとえ記憶や認識が駄目になっても、そんなものは私が補えばいいのだし、ともかく元気であればなんとかなる…
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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