ある病院に宛てた手紙

前略ごめんください。

 今月十八日から貴院にお世話になっている〇〇〇〇〇の家の者です。
 さて本日、以下のようなことを関係各位にお伝えしようという気になったのは、数日前、正確に言えば今月二十六日(水)午後三時過ぎ、たまたま四階病室の母を見舞っていたときに目にし感じたことを率直に申し上げ、以後の参考にしていただきたいと思ったからです。当事者からすれば、ことは実に日常的で些細なことかも知れませんが、私には看過すべきではないと思われるからです。
 その日、母のベッドの向かいのおばあさんが便意を催したらしく、係りの人を呼んでいることに気づきました。しばらく経ってもすぐ側のナースステーションでは気づかないようなので、私が告げに行きました。二人ほど看護士さんがいましたが、自分たちの仕事外のことなのかすぐには応じてもらえませんでしたが、幸いそこに来た係りの人に伝えることができました。ところがその人の態度は非常に不愉快なものでした。患者さんを叱りつけ文句を言い、けっしてプロの態度とは思えませんでした。それに抗議した私などまったく無視して傲然たる態度で部屋を出て行きました。
 納得がいきませんでしたので、ナースステーションにいた看護士さんにそのことを伝えて帰ってきました。
 さて昨日のことです。母を見舞っているとき、さっきから簡易便器に小便をしたいので呼んでいるのだが誰も来てくれない、と言われて、係りの人を探しに廊下に出ました。幸い係りの人らしいひとを見つけたので、ベッドに来てもらいました。その間私は廊下に出て待ってました。ベッドに戻って見ると、便器にはさせてもらえなかった、というので、その係りのひとを追いかけ、便器にさせてもらいました。その若い係りは態度も丁寧で感じも悪くは無かったのですが、貴院では便器にしたいと願う患者にもオシメにさせる方針なのでしょうか。手を貸してもらえれば便器で気持ちよく排便できるのに、という願いは我儘な要求ですか。
 要はボランティアならいざ知らず、お金をもらって仕事をするひと(これがプロの定義です)が、患者のとうぜんの要求をまるで厄介ごとをたのまれて嫌々やるような態度ですることは許せないということです。私の母を含め高齢のおばあさんたちは少しボケも入っています。だからといって邪険に扱うことは肉親でないかぎり(私も認知症の家内のことで日々苦労しています)許されません。実は入院後すぐ母は治療のため必要ということで、数日間両手を拘束されました。もちろん私は納得し書状にサインしました。ですからときおり母が病院への不満を言っても、そのことが原因で愚痴っているのだと取り合いませんでした。しかし先日来の二つの体験からその考えを修正せざるを得ません。
 先の例の係りの人が、看護士でも正職員でもないとしても理由にはなりません。私が以前勤めていた大学でも、学生の不満や抗議に対して、あの先生は非常勤だから、あの人は臨時雇いだから、といういいわけは詭弁以外のなにもでもないという正論を主張し周知徹底してもらいました。患者にとっては、相手が医学博士だろうが看護士であろうが、はたまた臨時雇いの職員であろうが、現場で日々接する人が即〇〇病院なのです。
 本日は苦言に終始しましたが、以上患者の家族の見解をどうぞお聞き届けて、貴院と患者ならびにその家族の信頼関係が一日も早く回復することを願ってます。昨日、四階ロビーにある「意見箱」に署名入りで同様の意見を書かせてもらいましたが、あの形式だったらたぶん返事も無いでしょうし、「梨のつぶて」になるのでは、と危惧してこの文章を書かせてもらいました。ごく簡単なものでけっこうですから、なんらかのお返事いただければ幸いです。

十二月二十八日

〇〇病院院長殿
関係各位殿

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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