ある介護施設に宛てた手紙

前略ごめんください。今年五月からお世話になっている〇〇〇〇〇の家の者です。ご承知のとおり本人は現在は〇〇病院で加療中ですが、この機会にこれまで貴事業所とのお付き合いの中で感じたことを、二、三述べさせていただこうと思います。
 まず入所以来、若いスタッフの親切で明るい態度に感銘を受けてきました。会う人ごとに、母はいいところにお世話になっていると吹聴してきましたし、本人も喜んでおりました。ただ本人が転倒して歩行困難や食欲不振となり、その結果でしょうか、風邪で熱を出したとき以後、貴事業所の対応の仕方に次第に違和感を覚え始めたことも残念ながら事実です。
 簡単に言えば、何か事が起こったときに、その対応の中に「私たちのできることはここまで」とひたすら責任の範囲を限定する防御の姿勢が前面に出ており、肉親をいわばより大きく安全な新しい家族に預けたという安心感がだんだん消えてきたということです。もちろん事業所は病院ではありませんから、できることに限度があることは百も承知しております。しかしその範囲内でも、家族の者なら当然やるであろう簡単な対応がなされたかどうか、という点になると首を傾げざるを得ません。たとえば高熱が下がらず、かと言って症状から推して往診を求めるまでもないと判断されたときの(看護士の見立てを経て)、対応の仕方です。休日を控えたあの晩、飲ませる薬は預かっていないので熱を冷やすこと以外なにもしないで様子を見ます、と言う返事を聞いて、急遽薬屋で事情を話して安全な解熱剤を求めて届けました。
 貴事業所を、体の自由があまり利かない、そして認知症のためにとっさの対応ができない老人たちの怪我などに対する応急処置や対応が日頃から訓練されているプロ集団、と思いたいのですが、実状はどうなっているか心配です。
 ついでに申し上げますが、今回の入院の際、スタッフの方と看護士の方が献身的にお手伝いくださったことを感謝します。ただそれ以後のこととなると、かなり失望しています。たとえば患者の洗濯物についてですが、病院側に聞いてみると、事業所によっては洗濯物の世話を定期的にやっているところがあるので、一応問い合わせてください、と言われ、貴事業所に電話しました。すると「こちらでは洗濯物については関知していないので、どうぞご家族で処理してください。それから加療についての経過をときどき報告してください」という返事でした。ああ、そうですか、と電話を終えましたが、なんと冷淡な対応かと大いに落胆しました。
 事はお金や労力の問題ではありません。もちろん私どもは家族ですから洗濯であれ何であれ、喜んでやりますが、「大きな家族」は病院に家族の一員を預けっぱなしで後は関係ない、というのでしょうか。お金の問題ではない、と言いましたが、こうなれば入院加療中の者が貴事業所を留守にしている場合の諸経費はどうなっているのか気になってきました。
 その後こちらの意向を知ってスタッフからは定期的に病院に様子を見に行くことにしたと連絡がありましたが、本音を言えば、今更いいですよ、加療中は全面的に(小さい方の)家族が面倒見ますから、といったところです。
 最後に言いにくいことを率直に言わせてもらいましょう。貴グループホームとて、そもそもの発端は高齢化社会でのビジネスチャンスと踏んでこの事業を始めたわけではないでしょう。高邁な理想を掲げて出発したはずです。もしそうでないなら、この事業から早々に撤退してもらいたい。どうぞ初心を忘れないでください。同時に純然たるボランティア事業でもないはずです。入所者からのお金としかるべき公的機関からの補助を受けながらのお仕事と思います。つまり専門的な知識と技術を身につけたプロ集団のはずです。プロ根性に徹してください。
 経営母体の方にも申し上げたい。入所者やその家族からのクレームをどうかわすべきか、など低次元の問題意識を前面に押し出さないでいただきたい。現今世上を騒がせてる医療過誤やそれにまつわる訴訟など、結局は当事者双方の不信が根底にあることは間違いありません。つまり日頃の誠実な対応から患者やその家族に信頼されているなら、極端な話、万が一過誤があったとしても訴えられるようなことは無いということです。
 以前、管理者にも申し上げたことですが、母をグループホームに預けようと思ったそもそもの動機は、家内の母親が三年ほどお世話になった大熊町の施設とその管理者やスタッフの尊敬すべき態度に感銘を受けていたからです。貴事業所も始まったばかりですが、どうぞ入所者や家族から尊敬され信頼される存在になってください。
 さて貴事業所を留守にしている〇〇〇〇〇ですが、担当医の話ですと、普通の食事に戻るのはもう少し先だが、経過は順調に回復に向かっているそうです。そんなわけで、入院のまま年を越しますが、回復の暁にはまた貴事業所にお世話になりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 貴事業所の今後の発展を祈念して、いささか不躾な本書簡を終わらせていただきます。

十二月二十九日

〇〇介護施設管理者ならびに関係各位殿

【息子追記】このグループホームは、原発事故でスタッフは入所のお年寄りの世話を放棄して、ホームの運営は破綻した。屋内退避令下、家の中の窓という窓をガムテープで目張りする中、祖母を引き取り、3月28日まで、備蓄した食料でしのいだ。祖母は環境の激変で一気に認知症が進み、今思い出しても胸がつぶれる思いである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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