昼食後、妻と息子と三人で公園墓地に行く。ウメさんが亡くなって丸三年が過ぎた。これを四回忌というのかどうかは分からない。仏教徒ならなにか決まった儀式があるだろうし、カトリック教徒ならさしずめミサを挙げてもらうなどのことをするのかも知れない。私たちは、いや少なくとも私と妻はそのいずれでもないから、自分たちがいいと思う様式で死者に祈り記念するしかない。
嫁はおそらく妊娠中なので、墓に近づくことは控えたのかも知れない。先日、遺骨の埋葬に立ち会ったあと体調をくずしたことを気にしているのではないか。これもまた死者を遇する一つの様式であって、じゅうぶん尊重に値する。死者に対しては、いまのところ(というのはいつか考え方が変わるかも知れないので)、生者の記憶の中にしかその存在を認めていない私などより、この嫁の方がはるかに宗教的なのかも知れない。
あと何年、いやもしかして何ヶ月後にはこの世からおさらばする老人、たとえばばっぱさん、などが、これから先もずっと生き続けるような意識で生きていることを奇妙に思ってきたが、この歳になるとそれも分からぬでもないな、という気持ちにはなってきた。つまり「生きる」とはもともとそのような構造を持っているに違いない。断頭台に登った死刑囚でも、ギロチンの冷たい刃が皮膚を切り裂き、骨を砕き、もう一つの皮膚層に達するまで、まだ生きている、いや「生きるつもりになっている」に違いない。
ところでウメさんの遺骨は、三年近く我が家の二階仏間に祀っていた。福島市のお寺に埋葬されている義父の遺骨といつか一緒に公園墓地に埋葬しようと思っていたのだが、昨年暮れ近くに一足先にウメさんだけお墓に入ってもらった。義父の遺骨はそのうち福島から運ぼうと思っている。私自身の遺骨などどこに埋葬されようと、あるいは太平洋に撒かれようといっこうにかまわないが、できるだけ長く人びと、いやせめて子孫たち、の記憶の中に生き続けられたら、とは願っている。いや、かつてキリスト教徒(しかもある時は修道士)であったときよりはるかに激しく願っている。もしかしてこれは、ウナムーノの言う inmortalidad(不死・不滅)への希求に近づいているのかも知れぬ。
【息子追記】阿部修義様から某所で頂戴したお言葉を転載する(2021年3月12日記)。
ウメさんがご入院されていた介護施設で、先生が入院費の支払いの時に金額を勘違いされた時のことを、なぜか、覚えています。お母さまが、そのことを気になされた先生に、こういうところは、いろいろ悩みを抱えている方が多いから大丈夫と元気づけられていました。