旅の気分

昨年六月から更新をサボっていたのに、年が改まってからはなんと連続して2回の更新を果たせた。でもやっと2回なのに、はや息切れがしている。
 こうしてパソコンの前に座ったものの、なにか具体的に書きたいことがあって座ったわけではない。ただ半年以上、わずかな漏水のために少しずつ動く空き家の水道メーターのように、つまりほとんど動かなかったアクセスカウンターが、この二日ばかりの間に100近く動いていることに、変なプレッシャーを感じているのだ。もちろんそのなかには、ただ通りすがりのものもあるだろうが、何人かの訪問客には再開が待たれていた、と思いたい。
 しかし全盛期(?)のもの、つまり後に一書にまとめられた時期のモノディアロゴスにしても、毎回はっきり書きたいテーマがあったわけではなく、おそらく半数近くは、ただ漫然と机に向かい、なんとかとっかかりを見つけて、ときにはでっちあげて書いたものである。だがいかんせん、年月の経過は予想以上に苛酷なものである。かんたんに言えば体力・知力共の衰えである。かつてのような力技は今は無理である、いや無理であろう。
 人間関係、具体的には家族環境にも変化があった。昨年だけに限っても五月にはばっぱさんがグループホームに入所した。旧棟二階で寝起きする私たち夫婦にとって、新棟(といっても20年も前のものだが)一階で暮らす老母になかなか目が届かない。妻の母親が死ぬまで二年ほど世話になった大熊町のグループホームとの幸いな出会いを思い出して、近くにできた同種の介護施設に預けることにした。しかしそれで家事雑用が楽になったわけではなかった。認知症の進行に合わせて妻の世話が少しずつ増えてきたからである。
 ところが幸か不幸か(つまりは幸なのであろう)、それまで長野県のある老人ホームで働いていた息子と嫁が、十一月に職を辞して帰ってきたのである。今年の六月には父親となる息子にとって、それこそ背水の陣を敷いての、父親のもとでの徒弟修行である。何の?肝心の親方、あるいは師匠、あるいは指導教授にも以後の明確な青写真があるわけではない。当面はスペイン語の修得と、スペイン文化や思想の手習いであろう。それで将来は?分からん。しかし終戦直後の、あの何も無くてすっからかんの日常のなかで見上げた果てしない青空を知っている者にとって、定職がないことや貧乏など、人間の「生き死に」にとって何ほどのものでないという感覚は残っている。
 ちょっとカッコつければ諸行無常、すべては過ぎ行く雲の一瞬のきらめき、あるいは翳り。かくして何を書くか決めないままに掲げた表題に行きつく。すなわちただいまの心境を約めて言えば「旅の気分」。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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