新訳ブーム

私自身まさにその渦中にあるので、ちょっと言いにくいのだが、最近の新訳ブームとやらにいささかの疑問なきにしもあらずである。
 確かに時代とともに、かつていかに名訳と言われたものであっても、新しい読者にはとっつきにくいものとなるということはありうる。だから新訳が試みられるのは当然の成り行きであろう。
 しかし売れる売れないという問題、もっとていねいな言い方をすれば、新しい読者層の広がり、ということになると、それが新訳のおかげである、と直結させるのはちと無理があろう。もちろん優れた新訳のおかげで売れた、という例はあると思う。どうも奥歯に物がはさまったような言い方しかできないのは、良書であることと売れることとのあいだに、ほとんど因果関係が認められないと言い切ってもいいからである。それまで売れなかった訳書が、表紙のレイアウトを変えたとたんに売れ出した、という例もその断定を裏付けてくれよう。
 ところで新訳なるものをすべて詳しく調べたわけではないが、それらに共通する一つの特徴だけはつかみ出せる。原文や既訳とつき合わせての評ではなく、ごく感覚的な感じに過ぎないが、要するに「つるんとした」訳文なのだ。それはたとえば「私」を「わたし」に、「既に」を「すでに」というぐあいに漢字が少ないことからの感触だけではない。
 翻訳についての褒め言葉に「こなれた訳」というのがある。これは先の「つるんとした」というのとはちょっと違うが、根っこは同じであろう。要するにこれは、学校での和訳に見られるように、辞書に出ている訳語の最初の部分にあるような言葉を連ねるのではなく、よほどたっぷりと訳語を並べた辞書にも無いような言葉や言い回しを、文章の随所に効果的にちりばめるといった、ちょっと高度なテクニックを駆使した文章について言われることが多い。たとえば「とまれ」とか「ことほどさように」とか「さもありなん」といった、いかにも「手足れ(手練)」の書きそうな言葉を巧みに配するのである。
 誤訳や不適切訳は論外としても、翻訳は結局はある特定の文化の中で育った表現や思想を、それとはまったく異質の文化の表現や思想に置き換える荒業なのであるから、ぎこちなさや「こなれない」部分が残るのは当然と考えるのがやはり原点ではなかろうか。それを踏まえた上で、つまりそれが本来持っているはずの特徴をできるだけ尊重しながら、日本語としての格好を構築する、それが翻訳というものではなかろうか。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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