電磁空間に彷徨う記憶

いわゆるスパムという奴なんだろうか、毎日100近くのいかがわしい宣伝メールが届く。5対1の割合で、アメリカからのものが圧倒的に多いが、最近はドイツからのものも混じり始めた。他にもグーグル検索のときなど大量の中国語の情報が舞い込むようにはなったが、メールへの中国語のアクセスは今のところ無い。どういう理由からだろうか。中国での取り締まりが徹底しているからだろうか。
 一日2回ほど、いやメール着信を調べる度に、ちょうど落ち葉やごみを履き出すように「消去」する。報道の自由とかの次元ではない。取り締まりを検討しているらしいが、早くやってほしい。それにしてもどれだけの量の情報が乱れ飛んでいるのだろう。IT世界の仕組みについてはまったく無知なので、いつか空を真っ黒にして乱れ飛ぶイナゴの大群のように、互いに身動きも出来ない混乱に陥るのでは、などといらぬ心配をしているが、そうはならないのでしょう。
 以前はヤフーの、現在はグーグルの検索をしょっちゅう使っているが、もちろんその仕組みについては何も知らん。便利と言ったら便利だけど、恐ろしいと言えば恐ろしい仕掛けだ。今夜も検索の途中で、思いがけない名前を発見し、ちょっといやーな気持ちになった。一度電話で話しただけの相手だが、不愉快な記憶と結びついているからだ。
 組織というものは多かれ少なかれそうではあるが、とりわけ宗教界には多い現象だと思う。といっても何のことか分からないであろうからはっきり言うと、要するに閉鎖的で独善的な雰囲気である。その男はむかし勤めていた女子大の、南の方にある系列校の教授であった。それまで姉妹校同士の交流が一切無いのはおかしい、まず互いに意見や情報を交換して、教員や学生たちの相互交流を促進しないか、という段までは実に積極的だったのだが、共通の上部機関に対する批判的な意見を言ったとたん、貝が閉じる具合に、以後一切の連絡が途絶えてしまったのである。
 当時は腹が立つというより、あまりの急変ぶりにあきれ返り、びっくりし、最後は笑うしかなかったが、今日その当時の記憶がよみがえってきて、実にいやーな感じに襲われたのである。多分彼ならびに彼の同志たちにとって、私は改心を祈ってやらねばならぬ危険分子に過ぎず、だから君子危うきに近寄らず、という気持ちになったのであろう。じじつ私自身、さらに上部の、というより彼らを統括する組織そのものから完全に離脱したのだから、彼らの危惧は的中したわけだ。
 あゝ鳩のようにナイーブで蛇のように陰湿な人たちよ、Vaya con Dios!(さようなら!)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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