一週間ほど前から、庄野潤三の『前途』(昭和43年、講談社)が机の上に乗っている。寺内さんの『島尾紀』を読んでいるうち、九州帝大のころの島尾敏雄についての文章の中に、ほぼそのまま、つまり引用符も無しに長く引用されているのを読んで、急に懐かしくなって書棚からもってきていたのである。
寺内さんの引用の仕方については、これはちょっと掟破りだぞと思ったのであるが、巻末に詳細に出典箇所が表になっているのを見て、ああそうかこれは掟破りじゃなくて掟知らずなのだなと思いなおした。いやそれはともかく、今晩、なんとなく最初から読み始めたのだが……正直にいうと「なんとなく」ではなく、或る意図を持って読みはじめた。つまり自分も大昔、J会を出るようになったあの当時のことを、日記風にたどって見る、書いて見るのも面白いのでは、そしてそのためのヒントを得らえるのでは、と思って読み始めたのである。
否応無く戦争に駆り出される直前の、若者たちのつかの間の青春譜が、庄野潤三特有の淡彩画のような筆致で描かれていて、一度読んだはずだが例のごとくすっかり記憶から消えていることもあって、この際読み直してみようと思ったのだ。感想は読了してからにするが、今晩こうやって『前途』に触れた理由は、最初の部分で、島尾敏雄とおぼしき友人小高の下宿に行くと、彼が『支那文化談義』の中の、佐藤春夫訳「よく笑う女」を読んでいる箇所があったからである。
以前、島尾敏雄の文学に中国文学が深い影を落している、というより強い影響下にある、と言ったが、その際、『聊斎志異』に触れておいた。「よく笑う女」こそ、まさにその『聊斎志異』の中の一編なのである。私自身もその短篇については2005年1月7日の「モノディアロゴス」で書いているのでよく覚えている。
ただその短篇が『聊斎志異』のではなく『支那文化談義』のものとなっているのがちょっと気になる。いやいや『聊斎志異』のものであることは間違いないだろう。といって、それだけの話であるが、島尾敏雄が数ある短篇群のなかで、私と同じく「笑う女」に興味を示しているのが(もっとも庄野潤三がそう書いているのだが)単純に嬉しいのである。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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