加計呂麻島呑之浦

寺内邦夫さんから先月25日、名瀬の協会で行われた島尾ミホさんの一周忌追悼ミサ、翌26日、瀬戸内町加計呂麻島呑之浦の島尾敏雄文学碑記念公園で行われた墓碑の除幕式と納骨式を報じる南海日日新聞、奄美新聞、南日本新聞など、南の新聞各紙のコピーが送られてきた。
 記事をよむうち、加計呂麻島呑之浦の記憶が蘇ってきた。あれは昭和63年(1988年)12月4日、その同じ公園出島尾敏雄の文学碑の除幕式のときのことである。あのときは、たぶん伸三・登久子夫妻は中国に行っていたのではないか。だから私はいわば彼らの代わりとして式に参列した形になった。朝から晴れた一日で、対岸の瀬戸内町から船で島に渡ったのではなかったか。
 当時の記録は、式次第のパンフレットと「南海日日新聞」の切り抜きだけで、日記は残っていないようだ。いや12月28日の日記には「鹿児島、奄美への旅についての覚え書きを、ワープロの方にいれ始めたので、この日記長から長い間離れていた」とあり、「JR九州・博多車掌区」のオレンジカード「はやぶさ号乗車記念」とテレホンカード「奄美の自然 ツマベニチョウ」が貼り付けてある。だが覚え書きは見当たらない。どこにいったのだろう。

※この項未完

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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