数日前のことだが、思い立ってバッパさんを小高区岡田に住む森田芳子さんの家に連れて行った。芳子さんと言ってもバッパさんよりわずか6歳下のおばあさんで、バッパさんの父方の従妹、つまりバッパさんと同じく、島尾敏雄の幼いときからの遊び友達の一人である。イタリアの俳優ラフ・バローネに似た相方はだいぶ前に亡くなったが、今は長男夫婦と暮らし、裏には次男の家が、そしてすぐ近くには長男とは双子の長女の家があるという、バッパさんでなくても羨むほどの環境の中で老後を送っている可愛らしいおばあさんである。
突然の訪問にびっくりして出てきた彼女、感心にもそのときちょうど島尾敏雄の本を読んでいたと言う。足腰はおぼつかなくなった、とぼやくが、頭の方はしっかりしていて、長男の嫁とも互いに言いたいことを言い合って元気である。それなら今度、彼女も知っている亡父・稔の追悼文集『熱河に翔けた夢』を差し上げましょう、と約束。三日ほど前、その約束の本(バッパさん用のものと同じく、布表紙の特装本)を届けた。
前振りが長くなったが(と書いて辞書を見たら「前振り」は「元服前の少年の、前髪をつけた姿」としか出ていないが、他に適当な言葉が思いつかないので、そのままにしておく)今日もまた彼女の家を訪ねたのである。というのは昨日の昼ごろ彼女から珍しく電話があり、ある人に『熱河に翔けた夢』をプレゼントしたいので、もう一冊ほしいと言う。話を聞いてみると、その人とは、父が金房小学校で代用教員をしていたとき(校長は俳人の豊田君仙子)の下宿の娘さんだと言う。幼いとき、父におんぶしてもらったことを今でも懐かしく覚えているそうだ。いや、そういう人なら私から謹呈するから、とさっそく今日その本を(残念ながら今回は紙の表紙の)届けたのだ。
にわかに春めいた旧街道を、いつものとおり後部座席に妻を乗せて帰ってきたが、その途中バッパさんのところに寄った。すると彼女、先日渡しておいた『虹の橋』を繰り返し読んだそうで、「ありがたい、ありがたい、まるで生き返ったようだ」などと言う。そしてもう少し手元に置かせてくれ、と懇願する。実はこれほど喜ぶとは思ってもみなかった。90を越えると、昔の記憶がだんだん消えていって、思い出す手立てが無くなる不安におびえるという。認知症でなくても、老いというものは残酷なものなのだろう。記憶力自慢のバッパさんにしても老いには勝てない。
表題に掲げた言葉はユダヤに古くから伝わる格言だそうだ。さすが「書の民」である。いいよいいよ、バッパさん、その本は試作品だけれど、そのうちもっと大部の増補版を作ってやるから、それまでぼろぼろになるまで繰り返し読んでください。
バッパさんは幸いだ、しかし運悪く認知症になってしまった妻にはあまり書いたものが残っていない。幼いころ家業の旅館を手伝わされたときの経験を書いた短い文章(それ以来二人のあいだではその頃の彼女を『あゝ無情』のコゼットになぞらえるようになった)、何冊かの手帳……待てよ、大事なものが残っていたぞ。半年ばかりの婚約期間中、毎日のように書いた私宛のラブレターの山、さらに結婚後も私の何回かのスペイン旅行の行き先まで送られてきた航空便が!
彼女は今はもう読めなくなったから、機会を作って音読してやろうか。それはちょっと恥ずかしいから、日本語の勉強にかこつけて、嫁に読んでもらおうか。いやその方がよっぽど恥ずかしいか。ともあれ、いま切実に思っているのは、偉い人や作家のことではなく、私たち一人ひとり、拙い文章でもいいから、自分の歩いた道筋をしっかり記録しておくべきだ、ということである。たとえ埃にまみれたり砂に埋もれようとも、いつか誰かがきっと読んでくれることを確信して。そしてウナムーノと一緒に言おう、
これを読む人よ、あなたがこれを読んで何かを感じるとき、
そのときあなたの中で私は生きています!と。
【息子追記】立野正裕先生(明大名誉教授)から頂戴したお言葉を転載する(2021年3月12日記)。
「これを読む人よ、あなたがこれを読んで何かを感じるとき、
そのときあなたの中で私は生きています!」
ものを書くとき、ウナムーノのこの言葉をわたしも座右の銘にしています。「いま切実に思っているのは、偉い人や作家のことではなく、私たち一人ひとり、拙い文章でもいいから、自分の歩いた道筋をしっかり記録しておくべきだ、ということである。たとえ埃にまみれたり砂に埋もれようとも、いつか誰かがきっと読んでくれることを確信して。」
先生のこの言葉も銘肝して日々実行しなければならないと思います。