甦る青春

今は昔ほどものを書かなくなったから、ケータイやパソコンに残るメールはともかく、日記や手紙などはいよいよ数が少なくなっていくであろう。しかし写真や動画となると、これは驚くべき数のものが現に残されている。今ではデジタル・カメラやムービー・カメラ、さらにはもっと簡便なケータイによる写真や動画など、映像による記録は、戦前とは、と言っても若い人にぴんと来ないであろうが、要するに第二次世界大戦以前とは比較にならぬほど大量の記録が、ときには整理に窮するほど増殖しているはずだ。
 もう少しで96歳になるバッパさんにしても、撮りためた写真の数は半端じゃない。今朝方、下の部屋から大きく重いダンボールを腰を気にしながら持ってきた。頴美(嫁の名前である)がバッパさんの写真類を整理してくれていたダンボールである。暇と金に飽かせて訪ね回った全国景勝地での記念写真やら、おそらくバッパさんに今聞いてもその半数は識別できないであろう無数の人たちとの写真である。捨てるわけにもいかず、かといってバッパさんといちいち照合するのは不可能。おおまかに分類して、ビニール・ポケット形式のファイルにとりあえず収めるしかないだろう。
 ところが中に、格段に古い写真も紛れ込んでいた。これは別個に整理するに値する写真である。今日はとりあえずそのうちの三枚を複写してみた。一番古いのは、先日も登場してもらった芳子さんの写真(椅子に座っているもう一人の女学生が誰かは分からない。今度聞いてみる)、二枚目は多分高校時代の島尾敏雄と従兄の健次郎(今も元気に帯広に住んでいる私の叔父)、そしてそして三枚目は、すぐ下の弟・誠一郎とおすましして撮られたバッパさんの学生時代の写真である。
 これで見るかぎりバッパさん、けっして不美人ではありません。むしろ聡明そうな美人である(とまでは言えないか)。へー、こんなときもあったんだ。芳子さんも敏雄さんも、誠一郎さん(安藤家の長男で、私のいちばん気の合う叔父であった)も、そして予科練に入る前だろうか、かっこいい若者健次郎さん、およそ75年前の若者たちの青春群像である。

 (私のホームページの「家族アルバム」の一番前に期間限定で三枚とも並べておきましょう。ごらんになりたい方はどうぞ)。

敏雄さんと健次郎叔父さん
同じ歳のいとこ同士
昔のバッパさんと誠一郎叔父
後に二人とも満州に渡ります
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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