2008年度文学講座が目指すもの

2003年から始まった埴谷・島尾記念文学資料館の文学講座も今年で六年目を迎える。その間順調に発展してきたか、といえばとてもそうは言えない。ときにマンネリ化し、ときに出口を見つけられずに堂々巡りをしたこともある。もっとも毎年新たに出発点に戻るというのが、講座の特徴と言えば特徴なのだが。つまり発展と言っても螺旋状のそれであって、右肩上がりの折れ線グラフ的な発展ではありえないからだ。
 と言いながら、いつのまにかまた弁解じみた言辞を弄している自分に気づいていやな気分になる。もっと具体的な話をしなければ。そんなわけで(どんなわけで?)純然たる読書会形式は難しいという今までの経験をふまえるなら、今度も講師の講義がどうしても中心にならざるをえないであろう。となると、今までのように海図のない航海などとかっこをつけるのは(要するにそれは行き当たりばったりという私の一番好きな講義形式であるが)やはりまずいのである。
 ということで、今年は大学での履修方法のように、受講生にあらかじめ年間計画を提示することにしたい(私のもっとも苦手とするやり方であるが、そこを抑えて)。もちろん、とここで予防線を張っておくが、自動車学校での「教程」とは違って、時に脱線、時に変更、を認めてもらってのレジュメ発表である。
 さて今年の講義内容について一言。
 いままで島尾敏雄と埴谷雄高を交互に、つまり隔年に取り上げてみたり、島尾敏雄を2年続けて扱ったり、とまちまちだったが、少なくとも今年はこれら二人の作家を同時に取り上げようと思っている。つまりそれぞれ個別のテーマごとに、この二人の作家がどのように立ち向かったのか、を検証したいと思っている。とうぜん両者の相互関係も視野に入れながらである。さらに今年は、これら二人の作家と深い関係にあった小川国夫を積極的に取り上げていきたい。
 先月下旬の講演会が小川さんのお怪我のために実現できなくなって間もなくの突然の死だったので、われわれと小川さんのあいだになにか運命的なつながりを感じ、それ以来時間を作っては彼の作品を読んできたが、いまさらのごとく強い感銘を受けているのは、埴谷さんや島尾さんとの深い友情もさることながら、小川文学が達成した風土性のみごとな表現である。それで今年の文学講座に小川国夫を組み込むことによって、埴谷雄高や島尾敏雄についてはいまだ明確には解明されてこなかった風土性の問題になんとか光を当てたい、と期待しているのである。

 ※この項、明日に続く

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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