2003年から始まった埴谷・島尾記念文学資料館の文学講座も今年で六年目を迎える。その間順調に発展してきたか、といえばとてもそうは言えない。ときにマンネリ化し、ときに出口を見つけられずに堂々巡りをしたこともある。もっとも毎年新たに出発点に戻るというのが、講座の特徴と言えば特徴なのだが。つまり発展と言っても螺旋状のそれであって、右肩上がりの折れ線グラフ的な発展ではありえないからだ。
と言いながら、いつのまにかまた弁解じみた言辞を弄している自分に気づいていやな気分になる。もっと具体的な話をしなければ。そんなわけで(どんなわけで?)純然たる読書会形式は難しいという今までの経験をふまえるなら、今度も講師の講義がどうしても中心にならざるをえないであろう。となると、今までのように海図のない航海などとかっこをつけるのは(要するにそれは行き当たりばったりという私の一番好きな講義形式であるが)やはりまずいのである。
ということで、今年は大学での履修方法のように、受講生にあらかじめ年間計画を提示することにしたい(私のもっとも苦手とするやり方であるが、そこを抑えて)。もちろん、とここで予防線を張っておくが、自動車学校での「教程」とは違って、時に脱線、時に変更、を認めてもらってのレジュメ発表である。
さて今年の講義内容について一言。
いままで島尾敏雄と埴谷雄高を交互に、つまり隔年に取り上げてみたり、島尾敏雄を2年続けて扱ったり、とまちまちだったが、少なくとも今年はこれら二人の作家を同時に取り上げようと思っている。つまりそれぞれ個別のテーマごとに、この二人の作家がどのように立ち向かったのか、を検証したいと思っている。とうぜん両者の相互関係も視野に入れながらである。さらに今年は、これら二人の作家と深い関係にあった小川国夫を積極的に取り上げていきたい。
先月下旬の講演会が小川さんのお怪我のために実現できなくなって間もなくの突然の死だったので、われわれと小川さんのあいだになにか運命的なつながりを感じ、それ以来時間を作っては彼の作品を読んできたが、いまさらのごとく強い感銘を受けているのは、埴谷さんや島尾さんとの深い友情もさることながら、小川文学が達成した風土性のみごとな表現である。それで今年の文学講座に小川国夫を組み込むことによって、埴谷雄高や島尾敏雄についてはいまだ明確には解明されてこなかった風土性の問題になんとか光を当てたい、と期待しているのである。
※この項、明日に続く