74年前の初デート

この二日間、いや三日間だろうか(なんだか時間の感覚が無くなってしまった)、バッパさんの本作りに没頭していた。別に急ぐこともないのに、まるで憑かれたように、毎日暇を見つけては、というより暇も作らず、ただひたすら印刷し、印刷された紙を二つ折りにし(つまり袋綴じにし)、背をそろえて「製本屋さん」というネットで買い求めた金具にネジで固定し、よく糊が付くように付属の鋸ナイフで背に切り目をいれ、その上に木工ボンドを満遍なく塗って、乾いたら厚手の模造紙の表紙をつける、という単純作業に没頭していたのである。
 出来上がったら各地の身内に冊子小包で送ったのだが、数えてみたら、今日まで合計16冊作った勘定になる。これで一段落ついたので、あとは必要に応じて、今度は暇をみつけて、そのつど作っていくことにする。
 そんなわけで製本屋に徹していて、肝心の文集そのものをゆっくり読む機会もなかった。しかし今日、落丁がないかの糊付け前のチェックで、「初デート」などドッキリするような言葉が目に飛び込んできた。10年ほど前、何の病気だったのか、しばらく入院したときに書いた「わが生涯の小道を辿って、短歌でつづる私の足あと」と題する短歌集(?)の途中にあった「出合い」と題する四つの歌の脚注(?)にあった言葉である。ついでだから四つとも紹介する。

     白絣(かすり) 黒の兵児帯 下駄ばきの
          夫(つま)と出合いし 夏の夕べに
     人目さけ それぞれ乗りて降り立つは
          客足のなき新地駅なり(はじめてのデート)
     砂浜の砂を踏みつつ従いし
          二人の他に人影もなし
     雷鳴と驟雨に遭いて行く末の
          不安の予感おそれつつ帰る

 バッパさんに言い渡したように、短歌というより短歌もどきの四首ではあるが、歴史的(?)事実はしっかり記録されている。あーそうだったんだ、二人の初デートは新地で、せっかくのデートなのに雨に祟られたんだ、などなど今まで聞いたこともないような親たちの青春の一齣、確かに教えていただいた。
 新婚時代を歌った次のような歌もある。

      ささやかな新居は村に一つだけ
           揚げ窓のある洋館なりき
      懐妊を知りて夫は休日を
           たんぼの堀に鮒を掬へり

そうだねー、珍獣(いやわざと間違えました、本当は珍壽です)のバッパさんにも青春があったわけであります。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク