虫の声

何気なく虫の声なんて書いてしまったが、さて虫は鳴くけど、果たしてそれを声と言っていいのかどうか。むしろ虫の音(ね)と言うべきか。ついでに「すだく」という言葉を思い出して辞書で調べて見ると、「虫などが集まってにぎやかに鳴く」とあって漢字では「集く」と書くようだ。確かに、今夜は、かなりの数の、いろいろな虫がにぎやかに鳴いている。
 いやそんなことは実はどうでもいいことで、大事なのは、今晩実に久しぶりに虫の声を聞いているということだ。いままでだって虫は毎晩鳴いていたのかも知れない。いやそうだろう。ただそれに気づかなかった、意識がそれに向かわなかっただけなのであろう。
 それにしても、今夜は急に秋めいていて、昨晩と比べてもかなり涼しい。台風が近づいているせいだろうか。テレビの予報によると、浜通りには明日の朝接近するらしいが、それも昼過ぎには遠のき、雨も上がるらしい。毎回台風など自然災害に直撃される地方に住む人にはたいへん申し訳ないが、福島県でもこの浜通りはいつもほとんど被害を受けることがない。ありがたいことだ。
 とここまで書いてきてはみたが、今日は別段書くものが無いことはばればれである。それなのになぜ書き始めたか。それはここ数日連絡が無かった川口の娘から、「今、最新のモノディアロゴスを読み終えたところ。前回の8/3以降、ほぼ毎日覗いてみてたんだけど、更新されていなかったので、今日久しぶりに読めて嬉しかったよ。」とメールが入っていたからだ。要するに、それが娘であれ誰であれ、自分の書くものを心待ちにしている人が一人でもいる、ということがなんだかとても嬉しかったのである。
 なんとかそれに報いたくてパソコンに向かったのだが…いや再度言うが、書くものが無いのではない、書く余裕が無かったのである。つまり先ほどの虫の音(やっぱり声より音ですね)のように、あるのに気づかなかっただけなのだ。つまり生きている以上、毎日いろんなことが起こり、その度に喜んだり感じたり怒ったりしている。たとえば今日の午後、警察署に出向いて運転免許の更新手続きをしてきたなんてつまらぬことではなく、昼夜の食事どき、食卓に着いた息子あるいは嫁の腕に抱かれた孫娘が(ちなみに今日が生後百日目だったらしい)、ますます可愛さを増してきたこととか、先だっては約二年半ぶりに妻と電車旅行をしたが、途中のトイレのことなど案外取り越し苦労であったことなど(駅では障害者用のトイレを使えばいいことを学んだ)、書くことにはこと欠かないのだ。
 …やはりこれ以上無理。眠くもなってきたし、この辺で止めます。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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