いま机の上に厚さ6.5センチの脊革と布で装丁されたA5判の『修道日記』が載っている。もちろん活字本ではなく、普通のノート6、7冊に肉筆で書かれた私の日記(1961年~1967年)を合本にしたものである。修道会に入る前年の夏から、その修道会を11月退会して相馬に帰ってから十日ほどまでの記述を含んでいる。
こんなもの、他人が読んでも面白くもおかしくもないが、いつか全文でなくともその一部だけでもパソコンに入れようかな、などと考えている。
数日前、埴谷・島尾文学資料館のT氏から、島尾敏雄の未発表原稿が四編ほど見つかったと新聞に報じられているが、次回の「島尾敏雄を読む会」で取り上げてもらえないだろうか、と打診してきた。「新潮」の新年号に発表されるらしい。急いでインターネットで検索してみたら、なるほど「読売」など数紙が報じていた。いずれも作家として立つ前の習作らしい。新聞報道のあとテレビでもニュースになったが、それほどの大事件かな、などぼんやり考えてしまった。
いや、高名な作家と張り合うつもりは毛頭無いが、このところ妻と初めて逢ったころ互いに取り交わしたいわゆるラブレター(かなりの分量になる)をパソコンに入れながら考えていることとも関連する。つまり私のように「ふつうの」人間でも、生きているあいだに書いた文章やら日記などが、整理蒐集されて印字され、できれば本の形で残されてもいいのではないか。いや肉親や友人によって死後そのように扱われるだけでなく、生前その人自身の手によってそのような作業がなされてもいいのではいか、と考えるようになっているのだ。
そうした考えに行き着いたのは、記憶が次第に消えていく病を背負ってしまった妻の存在が影響している。つまり妻という存在を、子供や孫たちだけでなく、できるだけ多くの人の記憶に留めたい、という強い願望が生れてきたのだ。そうした願望はいわゆる有名人だけの特権ではないはずである。市井の無名人にも、己が存在の痕跡を後世に残す権利があるだけでなく、そうすべきではないか、と考えているのだ。
それを読む人の多寡など問題ではない。たとえ誰にも読まれなくとも、いつか腐食し風に舞い散るときが来るまで、あるいは子孫からその記憶が消え去るときまで、文字や音声や映像の中で生き続けていいし、またそうすべきではないか。いつか、だれかが、思いもかけない時と場所で、その痕跡を見つけてくれるやも知れぬ。
それにしても、こんな大それた願いが「ふつうの人」にも可能になったのは、パソコンやその周辺機器の目覚しい発展があったからである。
かつて島尾敏雄は中央文壇から遠く離れた南島移住を余儀なくされたとき、それまで自分が書いた全作品を謄写版でもいいから本の形にしたいと願ったそうだ。幸い晶文社という当時旗揚げしたばかりの出版社が作品集を編んでくれたが…いやもしその当時、現在のようなOA機器が存在していたら、彼はきっと、たとえば現在私が私家本作りに熱中しているように、自分の作品集を作ることに没頭したに違いない。遥かな昔の少年時代に、ゴム判の字で本を作ろうとしたように。
ここで誤解が無いように再度言うが、そうして作られた記録なり本の文学的あるいは学問的・芸術的価値については一切何も言っていない。つまり一人の人間の存在の証しということでは、高名作家のものであれ無名の私人のそれであれ、その価値は全く等価であるということである。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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