正田昭氏への手紙(下書き)

さてその「修道日記」をぱらぱらめくっていたら、正田昭氏への手紙(1967年2月15日)の下書きらしきものが見つかった。


†主の平安

 初めてお便りいたします。小生の名を、あるいはすでに「あけぼの」誌上にてみかけられたことがあるかも知れません。小生の方では、正田さんのことは、前々から存じ上げておりました。「あけぼの」にのるものはもちろん、シスターYから「群像」や未発表の原稿などお借りして愛読させていただきました。先日、シスターとお会いした時、「こんど正田さんにファンレターだしましょうか」と冗談のつもりで言ったところ、シスターからぜひ書いてみるようにすすめられました。
 というわけでこうして突然のお手紙さしあげているわけです。と言っても、何からお話ししたら良いのでしょうか。とにかく正田さんの作品を熱心に愛読させていただいていること、正田さんの特異な御境涯に充分理解がとどかないのをもどかしがりながらも、心からなる友として、そしてそのご幸福をお祈り申しあげていることをお伝えしたかったのです。
 小生はイエズス会に入りましてからこの四月で六年目に入りますが、まだまだ煩悩消え去らず、特に文学という厄介な病気を背負い込んで弱っております。でも最近は、こういう矛盾や苦しみこそ、生きることであり、それを克服することこそ召し出しではないかなどと思ってもいます。
 最近の御作では、昨7月号の「日記」、1月号の「母」などに感銘を受けました。どうかこれからも良い作品を書いてください。お祈りしております。今日は右、とりとめもないお手紙で失礼いたします。

追伸 二月ほど前になりますか、埴谷雄高氏にお会いした時、氏は正田さんのお名前をおぼえておいででした。


 本当になんともとりとめのない手紙であるが、これに対して正田氏から返事があったはず。もちろんそれは日記の中ではなく、他の人の手紙と一緒にブリキの菓子箱に取っておいたものである。いま調べてみたら、他にも同年(1942年)6月28日付けの葉書と、7月4日付けの手紙があった。死刑が執行される2年前の手紙である。彼宛ての私の手紙(の下書き)を載せた以上、今回は(2002年8月25日にも彼のことに触れたので)彼の手紙を紹介することにしよう。出し惜しみするわけではないが、まずは私自身がゆっくり読み返したいので、ネットには明日と明後日、二回に分けてご紹介するつもりである。お楽しみに。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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