宗教はアヘンか

残念ながら、あるいは幸いなことに、私自身はその映像は見なかったのであるが、最近、イエルサレムの聖墳墓教会、つまりキリストの墓だったとされる土地の上に立つ教会で、宗派の異なるキリスト教の聖職者らが大乱闘を繰り広げたそうだ。報道によると、アルメニア教会の信者がミサを行っているところにギリシャ正教の聖職者が乱入しようとしてもみ合いが始まった。混乱を止めようと警察も駆けつけたが聖職者らの興奮は収まらず、殴るけるの大乱闘に発展したそうな。
 この教会はギリシャ正教やカトリック教会、アルメニア教会など複数の宗派によって共同管理されているが、管轄などをめぐってしばしば混乱が起きているらしい。一度その教会の映像を見たことがあるが、聖墳墓とされる狭い場所で、背中合わせというか、袖すり合わせてというか、複数の宗派がそれぞれの儀式やら信心行をやっているのだから、時に混乱が起こるのは無理もない。と言ってしまえばそれまでだが、しかし彼らが同じキリストを信じているというのだから笑ってしまう。
 イデオロギーの対立抗争はベルリンの壁の崩壊とともに一応は終息したようであるが、宗教の対立はいまだに終っていない。北アイルランド問題やパレスチナ問題は、イラク問題やアフガニスタン問題などの影に隠れているが、解決したわけでなく、世界の耳目から逸れている間に、さらに内向し陰惨の度を強めているのかも知れない。イラク問題は宗教の対立でも文明の衝突でもないなどと、いかに強弁しようと、イスラムとキリスト教の対立であるのは火を見るより明らかである。
 「宗教はアヘンである」といったのはマルクスであるが、しかしそれは宗教の全否定ではなく、もともとはハイネの「宗教は救いのない、苦しむ人々のための、精神的な阿片である」から引用したものらしい。つまり疼痛などの痛み止め・医薬品の意味だったらしい。しかし現今の世界情勢を見るなら、もはや宗教はそんな生易しいものではなく、むしろおのれの側に属さない他者を不倶戴天の敵、化け物と見なす幻覚症状を引き起こす強烈なLSDの役割を果たしているやに見える。
 さてクリスマスの季節である。バッパさんが世話になっている施設でも、廊下や庭にそれらしき装飾が目に付くようになってきた。いままでは、キリスト教でもないのにクリスマスなどおかしい、と思っていたが、特定の神様抜きでもいいじゃないか、まことに頼りなくいい加減な姿勢ではあるが、ツリーや色電球を見ながら、そこはかとなく地球の平和を思い、人類の兄弟愛を願うのも意味のないことではないな、と思うようになってきた。これっていい加減で、ちゃらんぽらんな態度? いや、他との違いを意識し強調することより、宗教や価値観、そして肌の色や風習やらが異なる他者との共生にタジロガナイ、というよりむしろヨロコブ姿勢こそ必要じゃない?

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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