先日発売された文芸誌『新潮』の新年号に、島尾伸三さんが遺品の中から見つけたという四つの遺稿が掲載された。6日発売ということであったが、そのことを思い出したのは翌7日。たぶんもうないだろうな(もともと本屋には配本されてなかったのかも知れないが)、との予想通り、2軒ほどの本屋さんをまわってみたが無かった。すぐさま埴谷・島尾記念文学資料館の寺田さんにメールを送って、もし手に入っていたらコピーをもらいたい旨、連絡したら、今日、彼からPDF(Portable Document Format)で送られてきた。最近、といってもう四半世紀になるが、文芸誌など読んだことがないので、こうして必要箇所だけが手に入って、ありがたい。
収録されているのは『地行日記』、『憂愁の街』、『無題』、『秋風手記』の四篇で、いずれもごく短い文章群である。書かれたのは1940年前後、すなわち彼の長崎高商から九大時代のもので、うち二つは日記や手記の形をとっているが、すべて原稿用紙に書かれているので、いずれ同人誌などへの発表を考えていたものと思われる。
いずれも短いとは言ったが、現段階では掌編小説に発展しそうな断片『憂愁の街』と『無題』を読んだだけで、『地行日記』を読み始めたところで、ストップしている。先ず「地行」とは何かで躓いて、ネット検索でやっと分かった。つまりそれは現在の福岡市中央区にある町の名前である。ということは九大時代、島尾敏雄が下宿して場所の名前なのであろう。いや中断しているのはそのせいではなく、冒頭から登場する眞鍋呉夫さんのことが気になって、彼の『二十歳の周囲』〈沖積舎、1986年〉を探し出してきてそちらを読み始めてしまったからだ。
この作品は戦後から間もない昭和23年、雑誌季刊「作品」秋冬号に発表されたものだが、作中、島尾敏雄は島津という名で登場する。彼らが矢山哲治などと始めた同人誌「こおろ」を中心とする交友関係を縦軸とした眞鍋さんの青春記である。以前読んだはずだが(同書に収録されているもう一編の「赤い空」は未読だろう)、こんど読み返してみて、改めて彼らの青春時代が胸に迫ってくるのを感じている。つまりまもなく戦争という狂乱の渦に巻き込まれていく直前の、彼らの青春群像に共鳴するものを感じるのだ。
(※この項さらに続く)
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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