『ウィキペディア革命』をざっと読んでみた。今まで知らなかったことをいろいろ教えられたが、結論としては読む前に予想していたとおりだった。つまり現在ものすごい勢いでウィキペディアという「集合知(collective intelligence)」(これは新しく覚えた言葉)が進行し進化していて、うまく行けば人類が今まで手にしたことの無いような素晴らしい道具を獲得できるであろうが、下手をすると、つまり常時じゅうぶんな注意を払わないと、とんでもない邪悪な化け物になる可能性がある、ということだ。
2001年1月15日に初めてウェブサイトに登場したウィキペディアはまたたく間に増殖し、フランスだけでも昨年初めには一千万以上のアクセス数を数えた。つまりインターネット利用者のほぼ三分の一の人が訪れたわけだ。その強みはなんと言っても一千万件以上の記事の数である。英語版の記事数200万件、ドイツ語版73万件、フランス語版64万件という。そして使用言語としては現在は死語となったラテン語、人工語のエスペラント語、さらにはアメリカ南東部のインディアン部族のチョクトー語まで251のバージョンがあるという。
日本におけるウィキペディアの広がりがどの程度なのか、巻末の解説(木村忠正)に詳しいと思うが未だ読んでいない。しかし気になるのは、おそらく使用頻度がもっとも高いはずの大学ではどうなっているかということである。つまり上は大学教師が書く研究論文から、下は学生が書く各種レポートや卒論まで、どの程度利用されているであろうか。
大学教師の書く論文の参考文献にウィキペディアを挙げる人などまさかいないと思うが、しかし実際はどうか。最終的にはとうぜんソース(出典あるいは原典)にあたって確認するであろうから、その過程でウィキペディアのお世話になることは時間や労力節減として許容範囲に入る。しかし学生のレポートや卒論では、「糊と鋏」で(インターネットではコピー&ペーストというらしいが)、たちどころにレポート用紙何十枚もの「大作」をでっち上げることができる。教師はそれを見抜けるか?
私が教師をやっていたころ、たとえ「糊と鋏」方式でも、論旨が通る適切な「配置」がなされているなら、それはそれなりに評価する、ただし最低限のマナーとして出典を明記すること、と学生に言っていた。出典や原典を探し出すだけでもかなりの独創性と、なによりも根気を必要としたからである。しかし現在のようにパソコン操作だけで瞬時に材料がそろってしまう事態では果してそう言えるかどうか? 大学教師を続けている友人たちにそのうち聞いてみようかと思っている。
(※この項さらに続く)
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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