先日、「ウィキペディア革命(1)」を書いた。(1)と書いたからには、とうぜんまだ書くべきことが残っていたはずだが、あれから一週間も過ぎてしまえば、さて何を言わんとしていたのか、すっかり忘れている。このことに限らず、このごろいろんなことを忘れる。五回に一回は、郵便局やらスーパーに出かけて、いざ金を払う段になって財布を忘れたことに気づく。特に冬場は出掛けに何かと注意しなければならないことが多い。たとえば灯油ストーブや足温器のスイッチを切ったかどうかの点検、妻を手洗いに連れて行くことやら電話を留守電にセットすることやら…
いやそんな愚痴を言うつもりではなかった、ウィキペディアのことである。繰り返しになるが、使いようによってはウィキペディアが間違った、あるいは不正確な情報ならまだしも、ときにはある特定の党派や組織が意識的に流すデマや誤情報の発信源になる危険性がある。しかしまた、使いようによっては、これまで限られた数の人たちにいわば占有されていた有益な情報を広く多くの人に伝える手段ともなりうる。
問題はいかにしたら、より正確で公平な情報となるか、である。それには二方向から考える必要がある。すなわち発信される情報をいかにしたら正確公平なものにするか、つまり送り手側の問題と、もう一つは情報の渦の中から、たんに正確な情報を受け取るだけでなく、それらを適切に関連付ける能力を身に着けることである。つまりどんなに正確な情報を受け取っても、それらを再構成する力が備わっていなければ、間違った解釈に導かれることだってあるわけだ。
それに関して、『ウィキペディア革命』の中にはこう書かれている。「最も重要なことは、ウィキペディアで得た知識をもう一度見直し、もっと全体的な視点で思考するものに置き換えなければならないということ、それを思い出させ理解させることです」(同書100ページ)。これはメディオロジー学者ルイーズ・メルゾーの言葉らしいが、さてメディオロジーとは何か、恥ずかしながら初めて見る言葉である。英語の辞書にもスペイン語の辞書にも出ていない。しかし原語はおそらくmediology であろう。それならある程度推定することができる。つまりmedioは環境とか手段、さらにはメディアを意味するから、現代のような情報化社会における人間と情報の関係を扱う学問であろう。でも情報学(information studies/ informatics)とどう違うのか。
さっそくウィキペディアを検索してみる。ところが日本語版にはまだ収録されていない。では英語版ではどうか。それによると、この用語は1940年生まれのフランスのジュール・レジス・ドブレ(Jules Régis Debray )が使った言葉で、意味は「人間社会における文化的意味の長期にわたる伝達に関する批判的理論」 (critical theory of the long-term transmission of cultural meaning in human society)だそうだが、これだけでは何のことか分からない。
以前ちょっとだけだがオルテガのことでお付き合いのあったサイト「哲学の劇場」さんを訪ねてみたら、以下のような明快な説明が載っていた。「ドゥブレはしばしば「入力」と「出力」という表現を使って、思想(言説)が出来事(行動)になることを表現する。例えば宗教改革では、ルターの「95箇条の提題」やカルヴァンの『キリスト教綱要』を入力として、内戦・新しい都市・新しい国境・移民が出力されたという風に。この入出力の置き方自体は、わたしたちが歴史の授業において、ある歴史的事件をある因果関係によって理解・記憶することと左程変わらない。
だが、ドゥブレが問題とするのは、むしろこの入出力の間にある「痕跡」だ。入力と目されるルターやカルヴァンの思想(言説)は、一体どのように流布し、読まれたのか。そして出力である人々の行動へと至ったのか。メディオロジーは、人間の象徴活動――と言うのは表現が言語のみならず音声や図像、映像でもあるからだ――が具体的にどのように伝達するのかを記述しようとする試みである。コミュニケーションやメディアの諸条件を考察するという意味で、メディオロジーはコミュニケーション批判、メディア批判の学と言ってもよい。」
以上の引用はウィキペディアからのものではないが、しかしともかくインターネット上の様々な情報を集め、組み立て、再考することによって、より高度の現実に、あるいは真実に近づくことができるのは、ウィキペディアに限らずインターネットのおかげである。もちろんそれには常に原典や源資料に遡って確認する作業が伴わなければならないのは言うまでもない。
なるほど入力と出力か。いかにもインターネット時代の社会学という気がする。ところで余談だが、ドブレ(あるいはドゥブレ)の名前どこかで見たか聞いたかしたような気がしていたが、彼は若いとき、今映画化で話題になっているチェ・ゲバラの革命に加わった人物のようだ。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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