ウィキペディアについての補足

ドブレについてグーグルで検索したら、「はてなキーワード」というウィキペディアと似たようなサイトが見つかり、そこに次のような説明がなされている。

 「レジス・ドブレ(1940年パリ生まれ) フランスの作家・思想家・哲学者。パリのエコール・ノルマルで学ぶ。1960年代に『革命の中の革命』を執筆。カストロやゲバラと中盤米でゲリラ闘争を行い、ボリビアにて投獄され20代で既に神話的存在となる。1970年代にフランスに帰国し「左翼連合」を樹立。1980年代にはミッテラン政権の側近(=外交特別顧問)として権力の中枢で要職に就く。1990年代に「メディオロジー」を提唱。1994年にソルボンヌで博士号を取得。
「私はつまり、高度な社会的機能を伝達作用の技術的構造とのかかわりにおいて扱う学問を “メディオロジー” と呼んでいるのだ。人間集団(宗教、イデオロギー、文学、藝術など)の象徴活動と、その組織形態、そして痕跡を捉え、保管し、流通させるその様態の間に、できるならば検証可能な相関関係をケース・バイ・ケースで論証すること、それを私は「メディオロジー的方法」と呼んでいる。(レジス・ドブレ 『メディオロジー宣言』、NTT出版、1999年、15頁)」

 さらに「関心空間」という他のサイトにはレジス・ドブレ自身のホームページ Régis Debray STRUCTURE DU SITE まで紹介されていた。自身の略歴からメデイオロジーの解説まで盛りだくさんの内容である(もちろんフランス語)。
 なるほど、このようにネットを通じて新たな知見が広がっていくわけだ。ただしウィキペディアにしろこの「はてなキーワード」にしろ、そのまま100パーセント信じるのは危険である。たとえば今のドブレについての記述にしろ、彼の著書を直接読んでみる必要があるわけだ。1999年発行なら古本屋で探そうか。いやいやメディオロジーなる新種の学問に深入りするまでもあるまい。
 ただもう一つ補足するなら、ウィキペディアには二つのバージョン、すなわち「専門家によって承認を受け何度も読まれる固定したバージョン、もう一つは絶えず書き込まれ、拡大し、自動修正され、荒らし行為にさらされるバージョン」があることである。この後の方の最終的な固定バージョンに「シチゼンディウム」があるそうだ。グーグルで検索。あった Citizendium である。さっそくそのアイコンをわがデスクトップに貼り付ける。それではその初仕事を mediology の検索で。しかし残念ながらまだその項目は掲載されていないようだ。まっ、ゆっくり行こう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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