ネット古本屋に注文していた『従軍慰安所 [海乃家] の伝言――海軍特別陸戦隊指定の慰安婦たち』(華公平著、日本機関紙出版センター、1992年)が届いた。わずか146ページの粗末な装丁の本だが、表紙を飾る経営者の一家(二人の学童児もいる)と日本人、朝鮮人、そして中国人らしき慰安婦たちの集合写真がもうすでに多くを語っている本である。
日中問題を従軍慰安婦問題まで広げようなどとは夢にも思っていなかったが、めぐり合わせでつい注文してしまった。発端は三日ほど前にさかのぼる。その日の朝、珍しく帯広の健次郎叔父が電話をかけてきたのだ。四月号だかの「文藝春秋」で上海事変や爆弾三勇士の記事を読んでいるうち、海軍特別陸戦隊指揮官の海軍少佐植松練麿(とうま)の話が出てきたのだけれど、彼は井上家とどういう関係がある人なのかバッパさんに聞いてもらえないか、との電話である。
私も確か家にある植松少将の写真を何度か見たことがある。父方の佐々木家に職業軍人がいたとは聞いていないので、漠然と母方の安藤家か井上家(つまり祖父は井上家から安藤家に婿養子に入った)に関係があるのでは、と思ってはいたが、これまで聞きただしたことはなかった。それで昨日、バッパさんに聞いてみたのである。最近はひところよりかなりボケてきたバッパさんだが、その質問にははっきり答えてくれた。つまり少将とは血のつながりは無いが、祖父の長兄松之助の妻たにの実家である梅田家と植松家は親しい間柄だったそうだ。
あらためてバッパさんの古い写真の山を探してみると、件の植松練麿の軍服姿の写真が見つかったし、今まで見たこともない珍しい写真も出てきた。練麿氏が代議士選挙に当選したときの祝勝会の写真である。おそらく祖父の字と思われる書き込みが裏にあった。「昭和十七年四月、代議士撰挙、植松練麿氏、当撰祝原町ニテ」。床の間をバックに、十五、六人ほどの男たちが杯を片手に写っている。それと見分けがつくのは、当の植松氏とカイゼル髭の松之助大伯父だけである。
ネットでいろいろ調べてみると、植松練麿は1883年鹿島町(現在は南相馬市)に生まれ、鹿島小、安積中学、海軍兵学校、海軍大学校を経て1931年海軍少将、第二水雷戦隊司令官になり、1932年の上海事変後に新設された海軍特別陸戦隊指揮官に任ぜられたという。すると彼はのちに軍籍を離れ、地元に戻って代議士になったということだろうか。
陸戦隊というのは初めて聞いたが、これはアメリカの海兵隊(Marines)が海軍(Navy)とは別個の独立した組織であるのとは違って、海軍に属したものらしい。何度か写真で見た顔の軍人が、上海事変で活躍した植松少将だったとは今の今まで知らなかったし、その彼が鹿島の出だったとは驚きだ。
それはともかく、その特別陸戦隊についてネットを検索していく途中で、前述の本を見つけたという次第。もしかしてその慰安所創設に植松練麿が関わってはいないか心配で(?)つい注文してしまったのだが、ぱらぱらとめくった限りでは、練麿氏の名前は見当たらない。「海乃家」などとどこかの海水浴場の茶屋みたいな名前をつけた慰安所に関係ある人たちからの聞き書きが中心の内容だが、表紙の写真を見ただけで胸が痛くなってくる。たぶん本文までは読み進まないだろう。慰安婦は日本人10人、朝鮮人100人、中国人20人という割合だったらしいが、写真に写っている彼女たちのうち何人が生き残っているだろうか。生きていればちょうどバッパさんくらいのの歳になる。
-
※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
キーワード検索
投稿アーカイブ
-
最近の投稿
- 【再掲】「サロン」担当者へのお願い(2003年執筆) 2023年6月2日
- 再掲「双面の神」(2011年8月7日執筆) 2022年8月25日
- 入院前日の言葉(2018年12月16日主日) 2022年8月16日
- 1968年の祝電 2022年6月6日
- 青山学院大学英文学会会報(1966年) 2022年4月27日
- 再掲「ルールに則ったクリーンな戦争?」(2004年5月6日執筆) 2022年4月6日
- 『或る聖書』をめぐって(2009年執筆) 2022年4月3日
- 【ご報告】家族、無事でおります 2022年3月17日
- 【3月12日再放送予定】アーカイブス 私にとっての3・11 「フクシマを歩いて」 2022年3月10日
- 『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』 2021年10月15日
- 東京新聞コラム「筆洗」に訳業関連記事(岩波書店公式ツイッターより) 2021年9月10日
- 82歳の誕生日 2021年8月31日
- 思いがけない出逢い 2021年8月12日
- 1965年4月26日の日記 2021年6月23日
- 修道日記(1961-1967) 2021年6月1日
- オルテガ誕生日 2021年5月9日
- 再掲「〈紡ぐ〉ということ」 2021年4月29日
- ある追悼記事 2021年3月22日
- かけがえのない1ページ 2021年3月13日
- 新著のご案内 2021年3月2日
- この日は実質父の最後の日 2020年12月18日
- いのちの初夜 2020年12月14日
- 母は喜寿を迎えました 2020年12月9日
- 新著のご紹介 2020年10月31日
- 島尾敏雄との距離(『青銅時代』島尾敏雄追悼)(1987年11月) 2020年10月20日
- フアン・ルイス・ビベス 2020年10月18日
- 宇野重規先生に感謝 2020年9月29日
- 保護中: 2011年10月24日付の父のメール 2020年9月25日
- 浜田陽太郎さん (朝日新聞編集委員) の御高著刊行のご案内 2020年9月24日
- 【再録】渡辺一夫と大江健三郎(2015年7月4日) 2020年9月15日
- 村上陽一郎先生 2020年8月28日
- 朝日新聞掲載記事(東京本社版2020年6月3日付夕刊2面) 2020年6月4日
- La última carta 2020年5月23日
- 岩波文庫・オルテガ『大衆の反逆』新訳・完全版 2020年3月12日
- ¡Feliz Navidad! 2019年12月25日
- 教皇フランシスコと東日本大震災被災者との集いに参加 2019年11月27日
- 松本昌次さん 2019年10月24日
- 最後の大晦日 2019年9月28日
- 80歳の誕生日 2019年8月31日
- 常葉大学の皆様に深甚なる感謝 2019年8月11日
- 【再掲】焼き場に立つ少年(2017年8月9日) 2019年8月9日
- 今日で半年 2019年6月20日
- ある教え子の方より 2019年5月26日
- 私の薦めるこの一冊(2001年) 2019年5月15日
- 静岡時代 2019年5月9日
- 立野先生からの私信 2019年4月6日
- 鄭周河(チョン・ジュハ)さん写真展ブログ「奪われた野にも春は来るか」に追悼記事 2019年3月30日
- 北海道新聞岩本記者による追悼記事 2019年3月20日
- 柳美里さんからのお便り 2019年2月13日
- かつて父が語っていた言葉 2019年2月1日
- 朝日新聞編集委員・浜田陽太郎氏による追悼記事 2019年1月12日
- 【家族よりご報告】 2019年1月11日
- Nochebuena 2018年12月24日
- 明日、入院します 2018年12月16日
- しばしのお暇頂きます 2018年12月14日