『エリオット全集』

午後、ネット古書店の知らせどおり、中央公論社版『エリオット全集』全五巻が届いた。余命いくばくも無い、と言ったら少し大げさだが、それでなくても読まなければならぬ本が山積しているというのに、なにを今さら T. S. エリオットを、と考えぬでもなかったが、今回はどうしても全巻読み通せなくても手に入れたかった。そのわけは話せば長くなるので、少しずつ分けて話していく。
 まず発端は、先月来、恥ずかしながら私たち夫婦の結婚前の往復書簡を私家本にしたことである。昭和四十三年六月から八月にかけてわずか二月ばかりの間に、八木沢峠をまたいで、福島市に住んでいた妻と私の間に殆んど連日交わした手紙をまとめてみたらおよそ150ページの本になってしまった。初めは月半ばに中国に孫娘を連れて里帰りする息子の嫁のために急遽まとめたもの、そして読者は文字通り娘たちごくごく身内の、それも女性たちのためを想定していたのだが、妻の元気なころを知っている親しい友人たちにも読んでもらいたくなった。この人にもあの人にも、と贈呈先が増え続け、気が付いてみたらなんと65冊も作っていた。
 初めは恐る恐るだったが、たくさんの人から読み初めから涙が止まらなかったとか恋愛小説を読むように面白く読んだ、などとおだてられ励まされたりして調子に乗った結果である。そうした「読者」の反響の中に、妻が T. S. エリオットの詩に触れた箇所に鋭く反応してくれたかつての教え子(ハンドル・ネーム「うずまきねこ」さん)の次のようなお手紙があった。今日はとりあえずそのお手紙を全文ご紹介する。


初夏の候

 「峠を越えて」のご送付心よりお礼申し上げます。奥さまと先生のお写真を拝見し、その1ページを読み終わらないうちに涙が出て止まりません。原因が分かりません。後はお二人がうまくゴールインできるのか、結果は分かっていてもハラハラしながら、小説を読んでいるような感覚に襲われながら一気に読ませていただきました。2日前に、結婚の典礼を読む機会があり改めて結婚の秘儀に触れました。私達の結婚が自分たちの意志だけで勝ち得た結果ではないことを33年の結婚生活を経て、今更ながら思い知らされています。
 本文の50ページの奥さまの心をとらえたエリオットの詩

      If all time is eternally present
      All time is unredeemable.

が目に留まりました。奥様は、「ただ切ない位、この冒頭の世界を自分のものとして愛しています。」と書いておられます。禅問答のような「時の円環」を体感されていらっしゃるのだとご想像いたします。 時を過去、現在、未来や点と線で捕らえるのでなく、ひとつの空間として捕らえていらっしゃるのですね。
 昨日の朝日新聞に大江健三郎の「定義集」【取り返せないことを取り返す】の文、結局何が言いたいのか、腹が立つくらいよくわかりませんが、そのなかの一文に「取り返せないことを取り返す」ことを井上ひさしが「晩年の仕事」にしていると代弁したいとありました。
 また木下順二のエッセイの引用で《・・・私たちは、忘れてはならないことを実によく忘れる。あるいは忘れてしまおうとしたがる。そしてその忘却の罪と誤りにきがつくのは、しばしばほとんど取り返しがつかなくなった時にであるようだ。》とあります。
 T. S. エリオットがインド哲学を学んだかは分かりませんが、「今が永遠に繋がり、永遠が今に繋がる」という感覚は (私の詩の勝手な解釈ですが・・・。)、上記にある忘却だの、時間を取り返すだのの人間の必死さを淘汰したひとつの宇宙感なのだと思います。奥さまはその感覚と「思索の世界」を大切になさりご自分のものとされていらっしゃるのですね。
 またもや、思い込みの激しい飛躍をぶちまして、先生に馬鹿にされる前にこの辺でやめます。いずれにしても、これからはエリオットを読むときはきっと奥さまのことを思い出すことでしょう。
 この度は本当にありがとうございました。花粉症で今年はじめて外にでるのが怖くなりました。奥さまをはじめご家族皆様のご健勝をお祈りしつつこの辺で失礼もうしあげます。」

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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