病院から(その七)手術痕を見る

八月七日(金)曇りときどき雨
 今日も天気はぐずついている。新しい病室での第一夜は思ったより良く眠れた。夜中、二、三回、薄暗がりの中を看護師さんがチューブ(?)やベッド脇の袋など点検したり交換していったことをぼんやり覚えている。
 朝食後のI医師の回診のとき手術跡を見せてもらった。左の腰に縦に15センチ、そこから上に少し離れて今度は25センチほど脊骨の方に斜めに延びる傷口はきれいにふさがっていた。素人目にも手際の良い手術であったことが分かる。骨などの欝血を取るための細い二本のチューブなどは明日(今日?)あたり取るが、太いチューブ(何のためのものか説明を聞き洩らした)はあと一週間ぐらい取れないそうだ。ともあれ、背中全体がまるでサイボーグのそれのように(といってもちろん見たことなどないが)奇怪な様相を呈しているのでは、との妄想はこれで消えた。
 さて今日は、昼食後、頴美が愛を幼児検診(?)に連れて行くというので、保健センターまでの送り迎え、ばっぱさん訪問(月一度皆さんで食べてくださいと差し上げるお菓子は、今月はカルピスにした)、量販店でココアの餌、そして美子のために安いCDプレイヤーを買うなど、大忙し。帰院後(なんて言葉はあるのかな)さっそくCDプレイヤーを取り出し、いつも家で聴いていた映画音楽(「太陽がいっぱい」など)をイヤホンで聴かせると大喜び。次は待望のテレサ・テンでも聴かせよう。
 梅雨明けが長引いているせいもあるのか、なにか中途半端なかたちで時間が過ぎてゆく。いやこれは梅雨のせいなどではなく、病院生活そのものが持つ独特な時の刻み方からくる感受であろう。それは旅先での時間の経過に似ている。なにか落ち着かない、決定的なことが棚上げにされてはいるが、終局は確実にやってくるとの予感。医師や看護師など病院側の人間とて、この「世界」への出入り口は、オルフェウスがくぐった冥界へのそれのようなものであって、決して職員通用口などではないのかも知れない。
 夕食後、急に思い立って、道路の筋向いにあるはずの床屋に行ってみようと思った。日中、廊下の西側はずれのベランダらしきところから外を見ていたとき、ユトリロの絵の中の建物のような、つまり両側を狭い道路に挟まれて押し出されたような、菱形の奇妙な建物が床屋さんであることに気づいていたからである。しかし田舎町では夜七時に営業している店などあるはずもない。入口の壁の部分に「理容」と書かれたその店は暗く沈んでいて、店兼住居ではないのかも知れない。明日出直すことにしよう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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