八月八日(土)曇り
十時ごろ床屋さんに行ってみた。店主とその息子らしい二人が白衣を着ていた。つまり二脚の理容椅子(何て言うのだろう?)だけの、実にコンパクトな店内である。すでに先客がおり、息子さんが担当していた。有難いことに、とは言ってもそれがラッキーかどうかはその時点ではわからなかったが、私は店主にやってもらうことになった。
実に四〇年ぶりの床屋さんである。結婚以来、伸びたら適当に妻が挟みを入れてくれた。認知症が発症してもほんの最近まで(昨年までだったろうか、もはやそれさえ記憶が不確かであるが)髪を切るときだけはしっかりしていたのである。しかし最近はそれもできなくなり、自分でやるしかなくなった。両側面はできるが、後頭部は合わせ鏡でおっかなびっくり、それでもなんとか誤魔化してきた。根元から(?)髪型を調えるいい機会だ、気分転換にもなるし。
他人に髪を洗ってもらったり、鬚を剃ってもらうことの心地よさをすっかり忘れていた。昔と違って、料金はかなりのものなので毎月とはいかないかも知れないが、この心地よさはこれからも時々味わいたいものだ。男女同時にカットしてくれるところを見つけて、妻と二人でやってもらおう。
店主は私より六歳若い。今はすっかり様変わりしたこのあたりだが、私の言う昔の街並みをすぐ思い出してくれた。私たち家族が小高から越してきてすぐの頃に間借りした「一東」という屋号の塀構えの屋敷、その前に老婆が一人営んでいた駄菓子屋、駅の北側に線路に沿って並んでいた鉄道官舎,畏友中村君の家はその駅長官舎だった。
話は最近の町の衰退ぶりに進んで、二人が同時にため息を漏らしたりしているうち最後の行程に入った。上向いた顔に化粧水をていねいに指で広げて、その上を乾いた布で軽く押す、とどめはもう一度挟みで髪を整え、さっと柔らかい大きな刷毛で首筋を掃く。なるほどこれが散髪屋さんだった。
午後は息子に代わりを頼んで、月一度の「島尾敏雄を読む会」に出かける。いつも秘書然として隣に座っていた妻もおらず、病室生活で準備のできていない講義ではあったが、話すうちに自然と話がいいように展開していって、ありがたいことに今書きあぐねていた「『或る聖書』をめぐって」の結論部分も見えてきたのである。不意にキーワードもひらめいた、「ことばの採石場」。忘れないように、話しながらいそいでその言葉を手元の紙片に書きつけた。「採石場」、うん、これで何とか締めくくれそうだ。
準備不足のまま臨んで苦し紛れに話していくうち、うまい具合に話が展開していって、きちんと準備した授業よりうまくいった経験が何度もある。だから講義は水もの、準備不足は止められない、ってかー。(そのうちとんでもない天罰が下るかもよ)。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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「ことばの採石場」で、わたしも目からウロコでした。私の場合、まったく自分に都合のよい講義の聴き方なのです。先生のことばをキャッチして、自分が必要としているものを膨らませせ思考する、そんな作業です。
ポイエーセス、深淵(高見順を思いだした)そして、どこで筆を置くか、など。自分の課題にしました。
結局、私もまた「読む会の講義」が採石場だと。一つの単語がぴったりと収まった次第。採石したモノではなく、示唆させていただいてます。それは、生き方そのもののヒントと言えます。
「未完の絵」ですが、私も気になっていた書きかけの油絵カンヴァスがあって、そのままにしようと気が楽になりました。ことばが創造の機能を持つとしたら、もろ生の創造なのだと、外側から聞こえて初めて実感できます。自己流の聞き方をする者には、準備された話よりその場でひらめく言葉に「むき出しの新鮮な刺激」を受けます。あっ、
これも昨日のことばでしたね。
思いつくまま話していったものに鋭く反応してくださって、私としてこんな嬉しいことはありません。私も他人の言葉をそのように捉えるべきなのに、多くは漫然と聞き流して生きてます。貴女のコメントからそんな反省をさせられました。今後ともよろしくお願いいたします。