八月二十三日(日)晴れ
一挙に秋が来たといった感じだ。梅雨明けがまだかまだかと思っているうちに、確かに夏らしい日が何回かあり、さてこれから本格的な夏かな、と思っていたら、もう秋だ。東北の夏は短いと覚悟はしているが、今年はあまりにも短すぎる。いま夕方の六時十五分前、寝ている美子の背後の壁に夕陽が差している。明らか足の長い秋の日差しだ。食事運搬車からお盆を出し入れする際の遠い太鼓のような音が聞こえてくる。
実はこの寂しい気持は、唐突な秋の到来のせいばかりではない。昨夜からとびとびに見てまだ見終わっていない映画のことがたぶん影響している。ふつうこの手の映画やテレビはなるたけ見ないようにしているのだが。この手の映画とは認知症を扱ったもので、つい見ている映画とは2001年のイギリス映画『アイリス』である。英国の女流小説家アイリス・マードック(1919-1999)が夫となる文芸評論家のジョン・ベイリーと出会った1960年代から、アルツハイマー病が発症して生涯を終えるまでの40年間を、過去と現在を重ね合わせるように撮った伝記映画である。
いかにもイギリス映画らしい、率直でユーモアあふれる登場人物たち、とりわけ主人公アイリスの若い時と晩年をそれぞれ演じたケイト・ウィンスレットとジュディ・デンチが実にいい味を出している。
もちろん私が注目せざるを得なかったのは、認知症発症以後の主人公の描き方である。結局彼女は介護施設に入るのだが、夫の介護だけでは無理だったのか、その点が実はいちばん知りたかった。認知症と言ってもさまざまなタイプがあって、どれが美子の場合に近いのか、どれを参考にすべきなのか、それさえ分からないのだが、私としては、今のところは、これまでのように二人で十分やっていけると思っている、ただ歩けさえすれば。マードックの場合も、あの段階ならまだまだ施設の世話にならなくても良かったのでは、とこれは私自身の率直な感想である。
ついでに昨日からの課題、すなわち介護と暴力についてなんとか考えてみよう。喜多方市の事件はまだ真相がはっきりしないが、とりあえず今の段階でも言えることは、どのような事情があったにせよ、介護士による傷害致死などというものは絶対にあってはならないということ。その上でいくつか言いたいことがある。すなわち、一般に介護士にかぎらず医療関係に従事する人たちの労働条件が厳しいと言われている。終夜勤務のあと十分な休みを取らないままで昼間の仕事につくことはないか。あるいは自分の仕事の尊厳性や誇りが感じられるような環境が保障されているか、つまり自分の仕事が正当に評価されていると感じられ……
考えていくうち、だんだん分らなくなってきました。つまりどんなに働きやすい環境を整えても、要するに、結局は、介護士の適性如何の問題に逢着するのでは、などと考えてしまうのです。たとえばこの私は、介護士の適性はほんのわずかしか持ち合わせていないと自覚されます。もちろん介護士と言う仕事が大切であり尊い仕事であることは知っています。しかし現実のあわただしさの中で、そして不如意なことが頻発する施設の中で、そのような意識を持続させることは至難のことです。神に仕える身分、たとえば修道女、であっても事情は同じです。
いぜん一度書いたことがありますが、美子の母親がお世話になった施設で出合った一人の介護士のことが思い出されます。一言でいえば、筋金入りの介護士でした。といってごつごつと鍛練・修練の結果が顔や体に表れているという意味ではありません。なんと言えばいいのか、過去にそれこそ言うに言われぬ、たとえば九死に一生を得たような試練の果てに介護士になっている、だから人のために働けることが嬉しくてたまらないという態度が滲み出ているような女の人でした。
そんな人は一万人のなか、いや十万人の中に一人いるかいないかです。だから介護士の適性検査にそこまでのことはもちろん求められません。しかし何らかの事前審査が必要なのでは、と思います。現在の制度がどうなっているのか分かりませんが、ペーパーテストや面接がせいぜいでしょう。そして先のような適性を見分ける試験が実現可能なのかどうか、難しいでしょう。いや結局は、介護士になる人、現に介護士である人の自覚に帰着することかも知れません。
さあ、予想通り振り出しに戻ってしまいましたね。もう少し考えてから、またこの問題を蒸し返しましょうか。では今日はひとまずこの辺で、さようなら。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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