病室から(その二十二)医療費請求書

八月二十二日(土)曇り
 十一時の電車で娘たちが帰っていった。直前、病院に寄って美子にお別れの挨拶をしたが、今日帰るという事実をどこまで理解できているのか。娘と電車を待つあいだプラットホームで話しあったことだが、たとえばパパの姿が見えないと不安になって後を追うということはしないので、その点助かると言えば助かるのだが、かと言って考えてみるまでもなくそれも切ない事実である。認知症になる前だったら、こうして帰っていく孫たちをとうぜん送ろうとするのに…
 午後、病室に今月前半分の請求書が届けられた。漠然と予想していた額をはるかに超えていたが、しかし改めて考えてみればあれほどの大手術である。そう考えれば安いものである。でもこの費用が払えない老婆老爺も大勢いるかも知れない。保険制度がある程度整っている日本でも、その恩恵に与れない人もいるはず。
 そういえば今朝早く、下の自動販売機にお茶を買いに降りたとき、整形外科前の暗いベンチに小柄な老婆がひとりひっそりと座っていた。杖が立てかけてあったから、歩行が難しいのか。開診まで一時間はたっぷりある。遠いところから始発電車で来たのか。それとも仕事前の息子か嫁の車で送ってもらったのか。電燈も点いていない早朝の廊下のベンチにまるで置物のようにじっと動かない老婆の姿が今になって気になっている。満足いく治療を受けられたのだろうか。
 午後、請求書が届いてからだいぶ経った後で、別の会計係の女の子が来て、説明が遅くなりましたが、と説明してくれた話によれば、実は窓口で最終的に支払う額はずっと安くなることが分かった。秘密でもなんでもないのでその数式を写してみるとこうなる。

 70歳未満の人 事前に申請することにより、病院窓口の支払いが自己負担限度額までになる。
 その限度額とは…一般 80,100円+(医療費-267,000円)×1%(ただし個室などの使用量は割引無しで別途徴収される)

 えっ!するってーと医療費が○○万だったから、それから267,000円引いて、それに1%掛ける?そして最後に80,100円と個室代を加えたものが実際に支払う額?本当に1%? 10%の間違いじゃないの? まさかこんな大事な説明書にミスプリはないだろう。いやーちょっとばかりパニクってしまいました。
 これまでだったら、ともかく請求額を窓口でいったん支払い、後ほど市の方から高額医療費のなんとかといって払い戻しがあったのだが、いつ制度が変わったのだろう? それに説明だと、月を越えるとその制度は適用されない、って? 安くなる分には結構だが…。他にも後期高齢者(私自身あと数日でその適用者になるところだった)の呼称がまた変わったとか変わらないとか、ともかくうっかりしてるとどんどん変わっていく。そしてともかく分かりにくい。
 しかし中国やアメリカに比べると日本の医療制度はまだいい方らしい。事実、昨年頴美の父親が単車事故で大怪我をしたときも、医療保険制度がない中国では大変苦労しなければならなかった。時には高額の医療費のために家族が路頭に迷う場合も稀ではない。
 ともあれ、医療とか高齢者問題で貧富の格差が直接はねかえってくるのだけは避けてもらいたい。今までまったくと言っていいほど他人事として考えてきたが、これを機に少し医療制度や老人福祉の問題を考えてみよう。今朝の新聞でも、喜多方市の介護施設で69歳(今の私の年齢だ!)の認知症の男性(私の性だ!)が、40歳の介護福祉士の暴行を受けて死亡した、と報じられていた。容疑者は10年以上のベテラン所員ということだが、真相はどうであったのか、たいそう気になる事件である。介護と暴力、これについてはまた改めて考えてみたい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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