病室から(その三十五)魯迅へ

九月四日(金)曇り

 正直ちょっと気が抜けている。「青銅」への原稿、満足ではないが、いまのところ精一杯という感じで、プリントアウトして三人に送った。まず編集長、そして石原さん、中村さんに。出版元のS社にそのままメールで送ろうか、と思ったが、編集長の話では彼自身の原稿がまだらしいので、プレッシャーをかける意味でも(?)、とりあえず彼に送ったわけだ。
 さて次の課題は? オルテガの『大衆の反逆』の翻訳完成がまだ残っているが、担当編集者が入退院を繰り返していることもあって、相手方の進行しだいという状況になっている。翻訳原稿はともかく、いずれ解説を書かなければならないので、そちらの方をそろそろ準備しなければならないのだが、事態が動き出さないと本気が出ないという悪い癖で、いまいち(なんて辞書にあるのだろうか…ありました、というと新造語じゃなかったのか)とりかかれないでいる。
 久しぶりにノルマなしの読書を、と思って実は小川国夫の『青銅時代』を読み始めたのだが、どうも今の私にはすっと入ってこない。描かれている対象が青春群像だからだろうか。そうでもなさそうだ。要するに登場人物たちの内面があまりにも詳細にくっきり描かれていることが煩わしく感じられるのだと思う(またまた他人事のように)。もちろん小川国夫の場合、いわゆる心境小説のように登場人物の心理の動きが描かれているわけではない。小川国夫にとって心理などではなく、むしろ心のそのものの形や動きに興味があると言えよう。たとえば恋人満枝と歩いていて偶然出会った教え子晃治に対する心の動きをこう描いている。

「そう言って彼(=晃治)は、なんでもない小さい仕種をした。それだけのことが私の心に触れ、さっきよりも強くあの眼を意識してしまった。彼のはにかみが私たちを隔てているのがもどかしかった。いきなりその隔てを取り払って、世界を共有することはできないものか、それは男同士が抱く興味とは少し違っていたが、そんなことにも私は惹かれているのだ。暗がりで薄の葉の縁に擦られるような、爽やかに脅かすものがそこにはあった。私は態度がぎこちなくなりそうで困った」。

 確かに心理描写というより極めて即物的な心の動きが描写されており、特に後半部は小川国夫独特の直喩が効果的に使われている。読者は彼のそうした清冽な表現に惹かれるのだが、今の私(こだわるようだが今の私である)には、この青春の過剰がいささか煩わしい。すみません、小川さん。
 といって大江健三郎にも今は戻りたくないか。こういうときは魯迅にかぎる。まだ読んでいない作品、読んでも忘れている作品がまだまだある。この際、少し集中的に読んでみようか。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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