汗顔の至り

※妻の古い書類を整理していたら、本来は『大学の中で考えたこと』に収めるはずの文章が見つかった。末尾に「付記」を加えたものを以下にご紹介する。文中、「オウム真理教」とすべきものが「オーム真理教」に、「阪神・淡路大震災」とすべきものが「阪神大震災」となっていたのを訂正したほかはすべて原文のままである。



純心の人間教育

          学生部長 佐々木 孝 


「かくして私たちは、人間とは何よりもまず兄弟たちと歴史に対して責任を持つ者であるとする新しいヒューマニズム誕生の証人である」(第二バチカン公会議「現代世界憲章」第五十五項)

 このところ日本列島は「オウム真理教」問題で揺れにゆれている。一月の阪神・淡路大震災も、危機意識の麻痺した安全神話の中でぬくぬくと生きてきた日本人に、改めて地震国日本という現実を突きつけたが、しかしそれは人災的側面を残しつつも、結局は自然災害であるという限りにおいて、生き方そのものに対する内省の契機とはならなかった。だがその後に起こった地下鉄サリン事件など一連のオウム疑惑は、自分たちがまさに内部崩壊の危機にさらされている、「危機」は外ではなく「内」にあるのではないか、という深刻な反省を私たちに迫っている。
 とりわけオウム真理教信者と同世代の子や学生を持つ者にとって、事件は決して他人事ではない。オウムに惹かれていった青年たちの心情が明らかになるほどに、自分たちの子や学生にも一歩間違えば彼らと同じ運命が待ち受けていたかも知れない、と恐怖しない親や教師はおそらくひとりもいないであろう。ここ数年来、日本の大学は、設置基準の改正、十八歳人口の激減などなど、さまざまな問題を抱えて、自己点検、自己刷新が求められてきた。しかし正直言ってそれらは、時代の「外的」要請に応じての「対応」ではなかったか。カリキュラムや教育条件の整備、時代に即した運営や経営の再検討の根本になければならぬもの、それは「いったい自分たちはどのような人間教育をしようとしているのか」についての、ときには「痛みを伴う」自己点検、自己刷新ではなかったか。
 ところで前述のようないわば時代の要請を契機として四大への改組転換を準備してきた純心にとって、それが大学教育のありかたを根本から見直す時期と重なったことをむしろ奇貨としなければなるまい。そして暫定的なものながら、すでに新大学の「教育理念」なるものも文章化された。すなわち「キリスト教ヒューマニズムを基盤に、国際化社会・地球一体化社会の真の平和と福祉に貢献しうる聡明で感性豊かな女性、人間と社会の新しいありかた、その真の幸福を求めて果敢に挑戦する創造性豊かな教養人の育成を目指します。《愛に根ざした真の知恵》(Sapientia in caritate fundata)これが私たちの教育・研究のモットーです」
 純心の人間教育が何を目指しているかが、ほぼ正確に表現されているのではなかろうか。ただし「教養人」という言葉に戸惑う人がいるかも知れない。実はこれはラテン語では homo cultus (文化化・教養化された人間)に相当するが、「文化人」という今では手垢にまみれた表現を避けたという経緯がある。「文化・教養」という言葉がもともと持っていた意味、すなわち「たんなる学識や専門的技能を越えて、高邁な理想に向かっての精神的能力の全面的開発・陶冶」という意味の復権がこめられている。冒頭の「現代世界憲章」の言う homo universalis (ユニバーサルな人間)とほぼ同じ意味である。
 さて教育理念は定まったとして、問題はそれをどのように実現していくかである。残された紙幅を考えて、以下いくつか箇条書きで提案を試みたい。

  1.  理事長・学長以下若い教職員に至るまで、学園という主の葡萄畑に集うすべての者が、働く喜びと深い相互理解・信頼の絆で結ばれていること(生活の模範なしに真の人間教育は不可能である)。
  2.  キケロの言う「魂の耕作(cultura mentis)」のもっとも有効な手段である「ことば」と「歴史」が教育の根幹にあること(不戦決議ができないようなお粗末な歴史認識の持ち主に国を愛する心・国際化社会の未来を語る資格はない)。
  3.  同じキャンパスにある中高との密接な関係(推薦入試制度、効果的な語学教育の共同研究など)を通じて、純心ならではの一貫した人間教育を実践する。
  4.  長崎・鹿児島の姉妹校とも、教員の交流、学生の国内留学制度(単位互換制を含めて)を強力に推進する。
  5.  欧米に姉妹校を求めるだけでなく、発展途上国の(特にアジアの)大学(たとえばカトリック系女子大)とも提携する(発展途上国の姉妹たちとの友情・相互理解抜きで真の国際感覚は育たない)。
  6.  私大の発展、とりわけ今後いっそう重要性を増す「生涯学習」計画にとって、授業以外での人間関係・課外活動は重要である。現段階では組み込む余裕のなかった学生の福利厚生施設に関して、中・長期の計画を早急に立案することを提案したい。                        

以上

(なお本学教育理念の基盤たるキリスト教ヒューマニズムならびに開設予定の「キリスト教文化研究所」については『人間学紀要2』を参照していただければ幸いである)。
   


「えにしだ」第十一号、一九九五年(平成七年)七月十五日発行に掲載


【解説】
 いま読み返して、まさに汗顔の至りである。つまり新しい大学造りを目指して昂揚した気分でこれを書いていた間も、一方では着々と佐々木降ろしが画策されていたことを知っているからである。具体的には同じキャンパス内にあった姉妹校や長崎・鹿児島の姉妹校との連携の提唱など、いわば《彼女たち》の縄張りに踏み込んだことへの反撥・警戒もあったろうが、それよりも時代の要請に即した新しいキリスト教ヒューマニズムの提唱が《彼女たち》の自己防衛本能を痛く脅かしてしまったのであろう。一切の予告無しの学生部長罷免、まさに生まれ出ようとしていた「キリスト教文化研究所」創設計画の白紙撤回(後に名称は同じながら内実はまったく別のものが作られた)などが矢継ぎ早に断行された。某キリスト教系大学の穏健だが実務的には無能な有名神父や、某国立大学のキリスト教極右教授の招聘などがその背景にあったわけである。
 「教育理念」の中の「果敢に挑戦する」などの表現からも透けて見えるように草案を書いたのは主に私だが、その時にも、こんな大事なものを自分たちで作れずに端から他人任せにする経営者たちの神経を不思議に思っていたが、いざ文章化されたものを見て、さすがに空恐ろしくなったのであろう、いまに残っているものはなんとも無難な、気の抜けた文章に変わっている。ただ「愛に根ざした真の知恵」のラテン語 Sapientia in caritate fundata)だけはそのままである。愛と知恵を「と」(et)で並列させるのではなく「根ざした」(in…fundata)と苦心して作ったことを思い出す。別に特許権・著作権を主張するつもりなどないので、今後ともどうぞご自由に使ってください。(二〇一〇年一月二十八日付記)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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