なにもすべてがペソアの「せい」ではないのだが、ここ一月以上もはまっていた精神的な閉塞状況から脱却するためには、一時ペソアから離れてみるのもいいかも知れない、と思い至って、先ほど机の周辺に積み重ねられていたペソア関係の本をまとめて、といって他に適当な場所もないので、机の向こう側、というか一応は目の届かない床の上にまとめて緊急避難させたところである。さぞかし変なとばっちりを受けたものだと、ペソア君も迷惑顔であろうが、ともかく土壷にはまった私の窮余の一策である。土壷?いやそんな言葉はなかろう。ドツボのドは、「ど真中」や「どけち」など強調や罵倒を示す接頭辞の「ど」でしょう。
ところで「ど」で思い出したが、映画などの規模の大きさを表す「超弩級」という言葉の「弩=ど」は、昔むかし、軍拡競争華やかしころに生れた言葉であると、どこかで読んだことがある。果たしてそんな説明が辞書にあるのだろうか、と調べてみた。ありました、ありました。1906年、英国海軍が建造した大型戦艦のドレッドノート(Dreadnought=「何ものをも恐れない」の意)の「ド」で、「同類のものより遥かに強力で優れているもの」を指す言葉になったとある。しかしそんな言葉は最近見たことがない。すでに死語となったのだろうか。別に惜しい言葉でもないからそれでいいか。
で、そのドツボにはまっていた期間なにをやっていたか、というと、当たり前の「日常生活」を一生懸命生きていたのである。妻の介護もあって、次から次とやるべきことが目白押しで(可愛いメジロが枝のうえで押し競饅頭 [いまどきの子供たちはオシクラマンジュウなんて言葉知っているのだろうか] している姿がいっしゅん頭をよぎった)一日があっという間に過ぎてゆく。で他に?
そう言えば、子供向けの本や映画の蒐集にウツツを抜かしていたっけ。きっかけは昔録りためていたビデオの整理(VHSからDVDへの変換)をしていたときにたまたま見直した『リリー』だった。田舎娘に扮した可愛いレスリー・キャロンが、人形芝居の一座(といって二人のおじさんだけの)と出会い、夢見る少女から恋する乙女へと変身するミュージカル映画である。昔見て感動したことを思い出し、それから当時の「名画」のDVD(無ければVideo)、そして原作を次々と集めたのだ。幸い例のアマゾンで破格の安値で手に入れることが出来た。つまりレスリー・キャロン繋がりで「巴里のアメリカ人」、「足長おじさん」、を、さらに嵩じて(?)「オズの魔法使い」、「メアリー・ポピンズ」などなどへと進んだ。原作のあるものは、すべて「岩波少年文庫」でそろえた。
もちろん、残り少ない時間でそれらをすべて読んだり見たりすることはできない。娘や嫁を通じて良質の夢を孫たちに伝えてほしいと願っているわけだ。それにしても、児童文学の名作が一時期イギリスやアメリカに多く誕生した事実は認めないわけにはいかないだろう。といって最近のハリー・ポッター物は、この爺様の関心の外にあって、ただひたすら過去に向かっているのだが。
ついでだが、中国の古典、たとえば昔ダイジェスト版で読んだ『西遊記』、そしてまともには知らない『三国志』や『水滸伝』も、手持ちの分厚い原典訳はもはや読む時間もないだろう、と思い、それらもせめて児童向けのダイジェスト版で読もうと、同じく「岩波少年文庫」で取り寄せている。児童向けといっても、例えば『水滸伝』などはあの松枝茂夫さんの編訳となっていて、けっして質は落ちていないようだ。
で、話をもとに戻す(?)と、これから当分のあいだ、いささか憂鬱な雰囲気を醸し出すペソアさんを離れて、もっとヘリオトロピックな、つまり「向日的」なアントニオ・マチャードを読んでいくつもりである。B.G.M.もしっとりしたマドレ・デウスから、もっと明るいスペインの音楽に替えようか。うーん、そこまですることもないだろう。テレーザ・サルゲイロ、いや彼女もいいが、我が町在住のボサノバ歌手■さんの柔らかで透明なポルトガル語の唄は聴き続けたい。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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