バティック装の児童書

今日も本の話である。
 例の児童書の話の続きであるが、その後さらに蒐集が進んでいる。『西遊記』や『水滸伝』、『三国志』のことはすでに述べたが、今度は子供のころに読んだか、あるいは読まないまでも記憶に残っている本に手を回し始めた。たとえば『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』などである。といってそれらを一冊丸ごと読んだ記憶もないし、ましてや所有したこともない。雑誌やラジオや…いやどこからか全く記憶に無いが、いくつかのエピソードを断片的に覚えているに過ぎない。
 どこの家庭も大なり小なり同じだったと思うが、あのころ、つまり戦後間もない昭和20年代前半、読みたい本が手もとにある子供などめったにいなかった。いいとこの坊ちゃん嬢ちゃんは小学館の学習雑誌などを月ぎめで購入していたと思うが(幸い学習は好きでなかった)、私にとっては時おり買ってもらう『冒険王』などはまさに宝物であった。兄や姉に貸して表紙が折られたりすることを病的にまで嫌ったものである。
 近所に倉庫みたいな子供部屋を与えられていた年上の兄弟がいて、彼らの書棚にあった南洋一郎の『緑の無人島』とか、すこし小ぶりの雑誌『譚海』が読みたくて夢にまで見た記憶がある。確かその兄弟の兄の方が体が弱く、それで好きな本をあんなにふんだんに与えられていたのだったろうか。でも病気でも何でも、好きな本にかこまれて生活できるなら、迷いなく病気の方を取ったであろう。
 「思い出の漫画」という、むかし広島で書いた作文(広大の稲賀敬二先生の指導で)によれば、そのころ家にあったのは田川水泡の『のらくろ』と、講談社の『鉄仮面』だけだったらしい。しかし『のらくろ』の装丁は漠然と覚えているが、『鉄仮面』の方はどんな本だったかまったく記憶にない。いずれも戦前のものだったから、一番下の叔父のものでもあったろうか。
 『鉄仮面』…黒光りのする兜の表紙絵がなんとなく記憶の中から競り上がって来たが、その先が見えない。どうにも気になって、これもアマゾンに注文することにした。それが昨日届いた。アレクサンドル・デュマが作者である。もっともこれは岩波少年文庫ではなく、昭和31年に創元社から出た『世界大ロマン全集』の第一巻で、訳者はぜいたくにも大仏次郎である。毎月二冊刊行で全50巻の予定だったらしいが、果たして首尾よく完結したかどうかは知らない。ともあれ第三巻には『魔人ドラキュラ』など魅力的なタイトルが予告されており……、いやこれ以上深入りするのはやめよう。
 ついでに注文していた「岩波少年文庫」の別冊『なつかしい本の記憶』もなかなか面白い。なかに中川梨枝子と山脇百合子(この二人については何も知らない)、岸田衿子と岸田今日子、そして池内紀と池内了という三組のきょうだい対談が載っている。岸田姉妹のものも面白いが、池内兄弟のものは、家庭環境やら興味関心が私自身の少年時代と重なって、自分自身の本との出会いをいろいろ思い出させてもらった。兄の紀氏は、かつて「青銅時代」で一緒だったが、あのころ会うたびにスペインの悪漢小説は面白いよと言っていたのを思い出す。なるほど当時から彼は私とは比べようもないほど守備範囲の広い読書遍歴の持ち主だったわけだ。
 ところでたんに児童文学を懐かしさに駆られて集めるだけだったら珍しい話ではないが、私の場合、それらをキブンに応じて装丁し直すという余技が加わる。例えば二巻本、三巻本は合本にして、表紙を厚手のボール紙で補強し、それに布を貼るという作業である。そして今回の装丁の素材は、バリ島で妻が買って穿き古した巻きスカートである。濃い青地に赤や緑や黒の蝶やさなぎ(?)や草花の複雑な模様をあしらったバティック [ジャワ更紗] で、将来これらを読むであろう孫たちの手に妻の感触が伝わってくれればと願っている。

※前回、破格の安値で、と書いたが、殆んどの本を例の不思議な値段、つまり1円で購入している。例えば今日発注した『アンデルセン童話集』全三巻などはそれぞれ1円、つまり手数料・送料込みで341円、更に同時に同じ書店から2冊以上買う場合にはそのたびごとに100円割引となるから、最終的には341円×3-200円、つまり全三巻を823円で手に入れることになる。時ならぬ書物購入の出費をご心配の向きにはどうぞご安心のほどを。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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