「…このあいだのクラス会で、奥さんに前回と同じように、お元気?なんて挨拶して、奥さんもにこにこしてくれたんだけど、あとで他の人に聞いたら、奥さん今じゃこちらの言うこと何も分からないようになった、と聞いてびっくり。あゝ悪いことしたかな、と思ってるんだけど…」
「いや、とんでもない、その逆ですよ。下手に敬遠されたり無視されたりするより、あの日の近況報告でも言ったとおり、いつものように近づいてくれて、いつものように話しかけてもらうことがどんなに嬉しいことか。どうぞこれからもよろしくお付き合いくださいね。」
先日、五年ぶりの、中学時代のクラス会の二日後、隣町のSさんからからかかってきた電話でのやりとりである。五年前は卒業後50年を、そして今回は古希を祝うクラス会であった。さすがに前回より参加者は減ったが、それでも16人ほどが駅前のホテルに集まった。それぞれの近況報告でも、健康のこと、孫のこと、介護のことと、歳相応の話題でもちきりであった。
ところで私の近況報告の中で、大変な苦労の末に開催までこぎつけてくれた幹事さんには申し訳ないのだが、どうしても言っておかなければ、とあえて苦言を呈したことがある。それは前回は全員での記念撮影に妻も入れてもらえたのに、今回はどういう理由でか撮影の前に幹事の一人から、奥さんは入らないでください、と言われたのだ。そのときは、いいですよ、と答えたが、撮影直前になって、「家内も入れてもらえなければ私は帰りますよ」と冗談めかして、強引に妻を脇に座らせて写真に納まったのである。つまりそのことに触れて、家内が認知症になってから、障害を持つ側の立場から初めてものが見えるようになったこと、障害を持つ人にとって一番つらいのは、敬遠されたり無視されたりすること、と言ったのである。
もちろん幹事さんには他意はなかったことは重々承知している。そしてその私の話のあとすぐ自席から「ごめんなさい」と言ってもらったので胸のつかえはおりたのだが…しかしこれからもこういうことが何度も起こるだろう、とは覚悟しなければなるまい。
何ヶ月かの沈黙のあとのモノディアロゴス、心ならずも暗いものになってしまったが、私も家内もなんとか元気にやってます。その間に考えたり読んだり見たりしたことを、そのうちすこしずつ吐露するつもりです。元気であると言いましたが、私自身は十日ほど前から腰痛に悩まされていました。ただ幸いなことに、今回はいわゆるギックリ腰ではありません。しかし人間のからだというものは、心棒が少しでもズレると、ふだんより数倍の重みが腰にかかってきて疲れが尋常でない、ということを痛いほど実感しています。
ともあれ嬉しいことに、三月初めから中国に里帰りしていた孫たちも、ようやく明日戻ってきます。孫の愛は向こうでもやんちゃぶりを発揮して、男の子ともけんかして「こわいくらい」とは電話での嫁の弁。強い女の子が大好きなイェイイェイ(中国語で父方の祖父をそう言う)はそれを聞いてにんまりしてます。ただし心配なのはまだ2歳にもならない愛が、ふた月の不在でイェイイェイの顔を忘れてはいまいかということですが、まっ最初はそうかもしれませんが、徐々に思い出してくれるでしょう。
佐々木先生
「モノディアロゴス」を拝読いたしました。
腰痛は本当に辛いものです。
お大事になさってくださいませ。
心よりご回復をお祈りしています。
今年はいつまでも寒くて困りましたが
やっと暖かくなりました。
この4月にはTS,エリオットの朗読で
The waste land-part 1 “The burial of the dead”
あの「4月は残酷な月だ」をyou-tubeで聴いて過ごしました。
本当によく降る雨を眺めながらこの詩を聴いていると
なるほど「4月は残酷な月だ」と感じました。
「怠惰な根っこを春の雨でかきまぜ・・・
思い出と欲望をひとつにする・・・」
詩というものは、なんとなくはっきりと説明はできないけれど
聴いていて雰囲気を感じる,その気になるというところがいいです。
そして奥さまのことを思い出しました。
モノディアロゴスを楽しみにしています。
再開が嬉しくてメールいたしました。
それではこの辺で失礼いたします。
先生とご家族皆様のご健勝をお祈りしつつ。
うずまき猫さんにタカタカさん、コメントありがとうございました。たまたま立ち寄られたのだとは思いますが、長の居留守のあいだ、お気にかけていただいて、ありがたいことです。ご心配いただいた腰痛の方ももうほとんど良くなりました。
ご無沙汰しておりましたが、お元気にお過ごしのようで、嬉しく思います。どうぞお元気で!