ブライトン再訪

再訪なんて書いたが、もちろんブライトンになど行ったことはない。最近見直した二つの映画と、そして同じく最近手に入れた一冊の小説の舞台が、偶然にもロンドンの南約80キロにあるイギリス最大の海浜保養地ブライトンだったので、それについて少し書いてみようかな、と思ったのである。二つの映画とは1960年のイギリス映画『寄席芸人』、1986年の、同じくイギリス映画『モナリザ』、そして小説はグレアム・グリーンの『ブライトン・ロック』である。
 つまりブライトンをめぐって三題噺風にまとめてみようと思ったのであるが、グリーンの小説で躓いてしまった。原作はすでにペンギン・ブックスで持っていたのであるが、最近のアマゾン散策で邦訳全集のものも手に入れた。さてそこで、冒頭、登場人物の一人ヘイルがパレス桟橋で手すりに寄りかかりながら観光客の群れを眺めている箇所はこうなっている。

「…群集は二人ずつ並んで、まるでねじれた針金がほどけるように次々と通りすぎて行く。だれもかれも一種まじめくさった、そのくせ今日一日は遊びくらそうと覚悟を決めたみたいな陽気であった…」

 つまりその訳文の「ねじれた針金がほどけるように次々と…」という箇所に躓いてしまったのである。グリーンが多用する比喩(直喩、隠喩、換喩など正確を期せば難しいので、とりあえずは比喩とだけ言っておく)はいずれも適切で鋭いが、この箇所はどうもしっくり来ないのである。それで数日前まで確かに机の側にあった原著を探したのであるが見つからず、もしかして下に片付けたのかと二回ほど書庫まで行ってみたのだが、今のところまだ見つからないのだ。たいした問題ではないので、気にしなくてもいいのだが、今回はなぜかこだわってしまい、三題噺へと進むことができないのである。
 なにもシンデレラじゃあるまいし、この文章を十二時までアップしなくてもいいのであるが、やっと三日前から再開した手前、なにがなんでも今日中に三題噺の一つだけでも片付けておきたかったのであるが、どうも無理のようだ。明日改めて書くつもりだが…、

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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