赤西蠣太

いつのことだったかNHK衛星テレビ第二で「黒澤明が選ぶ名画百選」という企画があり、そのとき録画したものの中に、志賀直哉原作、伊丹万作監督の映画『赤西蠣太』が入っていた。「名画百選」が実際に100本の映画を放映したかどうかは知らないが、そのうちの何本かはわがフィルム・ライブラリーにも残っている。
 1936年の製作というから、ところどころ録画状態はよろしくない。例によって例のごとく、この映画も今回初めて見たのである。いや正直言うと前半五分の一あたりまで見てみた。原作の方も今まで読んだことがないので、夕食前に急いで読んでみた。すると、今の段階でも分ることは、伊丹万作は原作からずいぶんと離れて自由に映画を作っているということである。
 原作では、いわゆる伊達騒動を背景に、それにかかわった赤西蠣太という一人の風変わりな武士の行状を描いてる。江戸の伊達家の屋敷に着任した彼は、実は伊達兵部と原田甲斐による藩転覆の陰謀の証拠を手に入れて国許に持ち帰る役目を担った間者である。敵方に怪しまれないように国許に帰るには、腰元の誰かに付文を渡し、それの失敗を恥じて国許に逃げ帰ることにしては、と同じ役目の青鮫鱒次郎に知恵をつけられる。
 嫌々それに応じた蠣太だが、事態は思わぬ展開を見せる。つまり小江(さざえ)というその腰元が本当に蠣太の申し込みに応じる気配を見せたのである。二人のことは甲斐に知られ、小江は取調べをうけ、結局親元へ下げられる。
 原作ではそこから急テンポに終わりを迎える。「間もなく所謂伊達騒動が起こったが……最後に蠣太と小江との恋がどうなったかが書けるといいが、昔の事で今は調べられない。それはわからず了いである。」
 結局読者は肩透かしを食うのだが、しかし赤西蠣太という奇妙な武士の存在がくっきりした印象を残す。伊丹万作がこの短編から映画を作ろうとしたのも分かる。直哉特有の簡潔な描写に触発されて、イメージが次々と広がっていったのであろう。映画のごく初めの方でも、すでに万作の「遊び」が見られる。雨夜に迷いこんだ白猫を描くかなり長めのシークエンスである。猫好きの私からすれば、この数カットがあるだけで、理屈抜きに『赤西蠣太』は名作の資格を得るのだ。

※付記
 伊達騒動=江戸初期、仙台藩伊達家に起こったお家騒動。藩主綱宗は不行跡を理由に幕府から隠居を命じられ、幼少の綱村が家督を相続。しかし後見役の伊達兵部宗勝が家老原田甲斐らと宗家横領を企てたとして伊達安芸宗重が幕府に訴えた。そして寛文11(1671)年の評定の席で宗重は宗輔に斬られ、宗輔も殺害された。この事件は「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」として歌舞伎・浄瑠璃の題材になった。(デジタル大辞泉より)。
 これを小説化した山本周五郎の『樅ノ木は残った』(1954-56)の古ぼけた文庫本が書架にあるが、美子が読んだものらしい。直哉の小説の主人公赤西蠣太(もちろん偽名だ)が実在の人物をモデルにしたのかどうか、など興味が無くもないが、たぶん周五郎の小説同様、読むことも調べることもないであろう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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