冒険者たち

その人が登場すると画面が急に引き締まる、という俳優が何人かいる。圧倒的な存在感とでもいうほかない迫力の持ち主。そんな俳優の一人に、リノ・バンチュラがいる。フランス映画に登場するのだが、出身はイタリアのパルマ。カタカナではパルマと書くしかないが、イタリア北部の町パルマである。(「ル」はRであり、それがLとなると、スペイン東部マジョルカ島西岸の港湾都市となる。)
 つまりバンチュラはフランス語読みで、イタリア語ではベントゥーラと発音する。出身はイタリアではあるが、フランス映画には無くてはならない、よく言ういぶし銀のような重厚な演技をする名優である。古くは1954年、ジャン・ギャバン主演の『現金(げんなま)に手を出すな』、1957年の『死刑台のエレベーター』から、数多くの名作に出ている。
 もとボクシングのヨーロッパ・チャンピオンだったが、怪我で引退を余儀なくされて俳優に転向したことなど、なぜか中学生のころから知っていて、彼が出演する映画のポスターが貼り出されるたびに、まるで身内を自慢するかのように誇らしげに吹聴したことを覚えている。
 ともかく今日の作業(?)で、むかし見て大感激した『冒険者たち』(1967年)にぶつかったのである。彼は元レーサーのローランを、そしてアラン・ドロンがアクロバット飛行のパイロット、マヌーを演じている。この二人が若い女性芸術家の卵レティシアと、ひょんなことから海底に眠る財宝を引き上げることになる。だが彼らはギャング団に襲われ、レティシアは流れ弾に当たって死ぬ。
 分け前の大金を彼女の故郷に届けるあたりからの描写は何度見ても感動的だ。結局最後は、追ってきたギャング団と、彼女の故郷の海に浮かぶ小さな要塞のような島で死闘を演じ、マヌーが撃たれて死ぬ。生前レティシアが二人の男のうちどちらを愛していたのか。レティシアはローランを選んでいたのだろうが、彼の腕に抱かれて死を迎えるマヌーに、彼女はお前を愛していたよ、と嘘をつく。マヌーはもちろん嘘と知りながら、ローランの男らしく優しい友情に感謝しつつ息を引き取る。
 美男だがいささか軽いアラン・ドロンと、いかつく重厚なバンチュラの絶妙なコンビがこの映画を第一級のロマンに仕上げている。全編を流れる音楽がまたいい。

(零時までともかくアップしようと思っていたのに、書くことに夢中になっていて、気づいたときにはもう三分が過ぎていた。残念!!クヤジイィーまっいいか、この間はズルをしたんだから。明日、いや今日、この続きを書きましょう)。

【息子追記】2010年5月17日午前0時9分で公開となっている。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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