五月と六月は孫たち三人の誕生日が続く。今まではお菓子あたりを適当にみつくろって送っていたが、だんだん成長するにつれてそうはいかなくなってきた。といっていまどきの子供たちが何を喜ぶのか詳しいわけではない。
ところで自分の子供時代はどうだったかを思い返してみると、まともに誕生を祝ってもらったことなど無かったことに気づく。私だけでなく、私の年頃の人間はだいたいそうではなかったか。ケーキなどで誕生を祝うようになったのは、ほんの最近のことである。
私が初めて誕生を祝ってもらったのは、小学4、5年生のころである(残念ながらその後続かなかったが)。ある年の夏休みの終わり、バッパさんが急にお前の誕生日はいつだ、と聞いてきた。とっさのことで返事に窮していると、自分の誕生日を知らないのか、と怒られてしまった。それまで誕生日など祝ってくれなかったくせに、などと大いに不満だったが、自分がこの世に誕生した日を知らないのは確かに恥ずかしいことだろうとは思った。
自分の誕生日がなんと夏休み最後の日だということをそのとき初めて知った。お祝いといっても、たとえば夕食にご馳走が出たとかいうのではなく、一本の「黍団子」をもらっただけである。今でもときおり見かけるが、ゆべしを細長くしたような、オブラートに包まれた羊羹状のお菓子である。黍団子というからにはおそらくキビが入っているのだろう。だから今でもお菓子売り場に「黍団子」をみると、懐かしいような、こそばゆいような変な気持ちになる。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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