島尾伸三の世界(その二)

夕刻の香港の街角に立つとする。するとさまざまな物象が眼に飛び込んでくるであろう。車輪を軋ませながら通りすぎる路面電車、買い物袋を胸に抱いて急ぎ足で家路を急ぐ中年の女、寿命が来たのか間延びした間隔で点滅を繰り返すネオンサイン……そのとき写真家は何に焦点を合わせてシャッターを切るのか。おそらく彼はそれら物象の一つ一つのものそれ自体への興味ではなく、それらすべてを含んだ全体的な構図の、ある角度、ある枠組みの中に、彼を捉えて離さない何かを感じて、その角度から、その枠組みを切り取るのである。
 その何かとは何だろう? おそらく写真家自身も説明のできない何か、強いて言葉に表せば気配のようなもの、いや違う、気配よりはるかに具体的で現実的なあるもの、言葉には表せないが、しかしそれ以外ではありえない何かが写真家の眼を釘付けにする。
 表紙を飾る写真(本文中にも同じものがもう一枚ある)には、中央に四脚の不ぞろいで薄汚れた椅子が横一列に並んでおり、すぐ後ろの鉄柵から見えるのは、右側にどこか校舎らしき建物、そして真ん中に二本の太い木の幹、左側には裏山へと通じる石の階段である。写真家は何を写そうと思ってシャッターを切ったのか。今さっきまで座っていた人間たちの温もりを感じさせる椅子だろうか。確かにじっと見ていると、四脚の椅子は何か人間じみた様子をしている。
 しかし私の推測では、写真家が引かれたのはそれらすべての物たちが全体として醸し出す何かだと思う。われわれでも時にそういった感覚を持つことがある。日ごろ何の注意も引かない物たち、たとえばわが家の裏庭から物置へ通じる小道から見える物たちが、ある角度、ある高さから不意に見せる思いがけない姿に、われわれの心がロック・オンされる時。そのとき、なにかが腑に落ちる。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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