島尾伸三の世界(その一)

島尾伸三さんから “Something Beautiful Might Happen”(何か美しいことが起こるかも、ほどの意味だろうか)という美しい本が送られてきた。まず外観から言うと、大きさは縦21センチ、横23センチという変形版で、138ページの写真集である。正確に言うと、伸三さんは、本職の写真家として1ページ大の写真51枚を担当(?)していて、あとのページは共著者である Madeleine Marie Slavick さんの詩が占めている。つまり写真家と詩人のコラボレーションである。
 詩人のスラビック(と発音すべきかどうか自信がないが)は、漢字名を思楽維としていることからも分かるように、ここ20年以上も香港で生活しているアメリカ国籍の写真家・詩人らしい。名前から判断してスラブ系の人かなと思ったが、巻末の著者略歴を見ると、ドイツ生まれの父とメンフィス生まれの母の娘としてメイン州で成長したとある。
 本の成立事情の詳細は分からないが、彼女の方が伸三さんの写真に魅せられて、コラボレーションを申し込んだようだ。
 全体は Eyes(眼)と Words(ことば)、そして Sleeepless(不眠)という三つの部分に分かれ、それぞれの章の最初にスラビックさんの詩が、続いて伸三さんの写真が章ごとにそれぞれ16枚、17枚、18枚と掲載されている。写真は2ページに一枚、つまり本を開いたとき左のページは白紙で右のページだけが写真という具合に、たっぷりしたスペースが確保されている。
 撮られた写真はすべて香港とその近郊のものらしい。コラボレーションの実際はどのようなものであったかは説明されていないが、おそらく伸三さんが自由に撮った写真を見ながらスラビックさんが詩を書いたのではなかろうか。
 英語の詩は正直言ってよく分からないので、私としては伸三さんの写真だけがこの本の世界に入り込む唯一の手段であり手がかりである。被写体はこれまでの伸三さんのものと変わらない、すなわち他の写真家たちの作品と大いに異なるということである。街の四つ角に信号待ちをする貨物自動車のペンキのはげ掛かった四角い屋根であったり、灰色の空を背景にうらぶれた壁面を見せる古びたビルの裏側だったりする。いずれも何でこんなものを撮るのか、と言いたくなるような変哲も無い物象や景色なのだ。
 伸三さんの書いたものは、もちろんその独特な感性が際立つ実に個性的な文章なのだが、どこか不自由な感じが拭いきれない。つまりずばり言わせてもらえば、父・敏雄と母・ミホさんの呪縛から解き放たれていない、という印象が濃厚なのだ。下手に事情を知っている者の偏見かも知れないが、彼の文章を読むといつもそう感じる。もちろんこの感じは、否定的な意味合いからのみ言っているわけではない。そうであるからこそ、彼の書くものが不思議な陰影と魅力を持っているからである。
 だが写真は、敏雄・ミホから自律しての独自性が際立っている。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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