外国語教育について

斯界の大先輩のお手紙を引用させていただいたついでに(とは失礼な言い方だが)、もう少し先生のご意見をご紹介したい。「佐々木さんはまだ原町区でスペイン語を教えていらっしゃいます。私の住んでいるN区には native speaker が多数住んでいて、日本人の私にはお呼びがかかりません。すべて会話、会話です。ガルシーア・ロルカの詩をスペイン語で味わうことがどんなに素晴らしいことか!」
 この先輩の嘆きの言葉は、私も痛いほど分かる。まず二つのことを言いたい。すなわち一つ目は現今の外国語教育つまりは英語教育をめぐる馬鹿げた風潮についてである。詳しい事情は分からないが、いま全国の小学校で英語に関して大混乱があるらしい。つまり話せる英語を習得するには、小学生から英語を、しかもなるべくネイティブから習うべきだとの文科省の方針から生じている混乱である。
 私は国粋主義者とは対極に立つ人間だが、英語に熟達するには英語で発想するまでにならなければならない、などというのは妄言以外の何ものでもない、と思っている。お前は何人(なにじん)になりたいのだ!と言いたい。和製英語のどこが悪い! ネイティブと変わらない流暢な英語を駆使して外国人と話すことができても、話す内容が幼稚で薄っぺらだったら、会話は三分と持たないであろう。それとは逆に、発音が日本語なまりで、そして表現も日本人特有の言い回しであっても、相手が奇異に思うのは最初の数分だけで、言わんとしていることが相手になんとか伝わるや否や、相手はこちらの独特な発想法に、初めは好奇心を、しかし徐々に敬意さえ感じ始めるであろう。
 要は、最初うまくいかないことにたじろがないで、粘り強くこちらの言いたいことを伝えようと努力することだ。つまり発音が下手で言い回しも日本的であるのは当たり前、それでこちらを馬鹿にするような外国人だとしたら、それは質の悪い、教養のない外国人だと思って間違いない。そんな奴と友だちになる必要などもともとないのである。
 従来の英語教育に改善しなければならないところは確かにあるだろう。しかし現今の英語教育よりはましだと思っている。要は異文化理解の根本に立ち返ることである。偉い人の例を出せば、明治の漱石たちが、異文化の壁にぶつかって苦闘したときの初心に学ぶことである。
 すでにどこかで書いたような気もするが、いまの大学生に、たとえばアメリカという国について、どれほどのことを知っているか聞いてみたら、その知識の無さにびっくりするであろう。漱石の時代に比べてとてつもなく大量の情報が流れている現在の方が、一人ひとりのアメリカ人についてのイメージが驚くほどあやふやであることにびっくりさせられるであろう。スペインに限ってみても、むかしブラスコ・イバーニェスの『血と砂』やゲーリー・クーパーの「誰が為に鐘は鳴る」を読んだり見たりして、スペインのイメージをくっきり胸中に刻んだ経験を持つわれわれ世代に比べて、スペイン語を学ぼうとする現今の若者がなんと薄弱で曖昧なスペイン像しか持ち合わせていないことか(もちろん例外はあるが)。
 むかしフランスに憧れた若者たちが、必死にフランスについて勉強し、たとえすこしばかり間違っているかも知れないが、フランス文化の本質やフランス人気質についてしっかりとした像を抱いていた事実は、現在の教育に何が欠けているかを教えてくれるであろう。いちばん必要なのは、異文化に対する飽くなき好奇心であり、両者を隔てる高い壁を乗り越えようとする強い意志である。まずそこから始めなければならない。
 ところで今日の午後、川口から娘夫婦と六歳と四歳の男の孫が来てくれ、我が家も一挙ににぎやかになった。二歳の愛を加えた三人の孫たちのエネルギーに圧倒され中(あ)てられて、いささかの疲れを覚えたのでモノディアロゴスを休もうかな、と思ったのだが、ここで休むとまた長い断絶に陥るかもしれないとの恐怖心に押されて、無理にパソコンに向かった。しかし、結果は何といつもより長くなってしまった。しかも予定していたもう一つの主張に触れないままに。続きは明日にしよう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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