つまりネイティブかと聞き違えるほどの流暢な外国語で話しかけられた相手は、初めはこちらの顔つきとのギャップにびっくりもし、親近感も抱くであろうが、そのうちこちらを同胞とみなして、その範囲でしかこちらを理解しようとしなくなる。たとえばデーブ・スペクターが流暢な日本語を話す場面を想像してもらえばよく分かる。つまり初めはびっくりもされ感心もされようが、そのうち彼が金髪碧眼(かどうかは知らないが)の準日本人、もっと辛らつに言うと偽日本人とみなされるようになってしまうのだ。彼がアメリカのどこかの州で普通のアメリカ人として育ったことなど忘れ去られて、たとえば葛飾区の柴又中学校(そんな学校があるかどうか知りませんが)でそんな顔をした小生意気な男の子がいたような気になってしまう。
変な例を出してしまったが、要は、異文化理解の鉄則は、異文化同士が互いの違いを認め合い、そして相手の心をしっかり理解しようとすることからしか始まらないということである。
言いたかったことの二つ目は、H教授のような優れた学者が、退官したとたん、それまで蓄積した学識を直接(執筆などを通じて以外は)伝えようにもその道が閉ざされてしまうことである。私の場合も、ボランティアでスペイン語を教えてはいるが、本当に伝えたいところまでは届かないままに今日に至っている。
ばりばりの現役教授に比べても遜色のない(この言い方ちょっと失礼だが)H元教授に、所属や学歴に関係なく教えを請う人がいたらとしたら、おそらく彼は喜んで(とまでは保証しないが)個人教授をしてくれるに違いない。私も、もしだれか私の専門のスペイン思想に興味を持ち、それを理解するためにスペイン語読解から教えてくれないかと願い出る人がいれば、可能な限りの時間を作って、その人を大学で習得できる以上のレベルまで面倒見る積もりだ。しかし今までのところ、肉親をも含めてだれからもそのような依頼はない。孫たちの成長を待つつもりだが、それとてどう転ぶか保証の限りではない。
H元教授や私のような人間が、たぶんいろんなところに生きているはずだ。それを活用しないのは大きな文化的損失と思うが、だれもそのことに気づこうとさえしない。明治維新以降の日本には、勉強は学校でしかできない、という迷妄がしっかり根付いてしまったからだ。イリッチのいう脱学校という課題は、おそらく世界中で日本ほどその可能性の低い国はないのではなかろうか。
だからいま密かに考えているのは(ここに書いてしまえば密かにではなくなるが)、この町の一人の若者(家業を継ぐために大学進学をあきらめた若者にしようか)が、あるとき(夜がいいか)とつぜん私を訪ねてきて、私の書いたものに興味を感じた、ついてはぜひ指導をお願いしたい、どんなに厳しい指導であっても、歯を食いしばってでも耐えてみせますから、と申し出たというフィクションを構想してみることだ。
この架空の若者に語り伝えるかたちで、これまで蓄積した(わずかな)学識を、噛んで含めるように講義していく。その講義録を呑空庵から本にしていく。うーん、これもやっぱ砂上の楼閣に終わりそうでんな。
おっと一つ言い忘れました。確かサルバドール・デ・マダリアーガに、「スペインはミスキャストの国」といったような意味の言葉がありました。つまり学校で学んだことが職業に結びつくことが難しい国ということだ。たとえば銀行員と思ったら、むかし大学院まで進んで北欧神話の勉強をした男だったとか、床屋のおっちゃんと思ったら、大脳生理学の研究をかなりの程度までやったことがある男だったりする。
もちろんマダリアーガは、こうした事態をスペインの教育制度の不備や社会の仕組みの未熟さの例として出したのであろうが、しかし別の見方をすれば、なんと文化的に豊かな国だこと、と思わせる。学校で勉強したことがそのままオマンマの足しになるなんてのは、効率的かも知れないが、なんと底の浅い文化かな、と思うからだ。そう、勉強ももう少し余裕をもって楽しもうよ、ということ。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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