人生の本 ロヨラのイグナチオ その自伝と日記
十年ほどの間に読んだ本の中で感銘を受けた一冊の本を選び出すことは、容易ではないが、それを私は、いつも手許に置いてたよりなくおろかな自分の人生をいくらかでも鍛える手がかりになる本、と解して、この書物を挙げた。どうしても過去の(つまり人生を完結した)誰かの生涯が、示唆的であり、その自叙伝や日記は有力な手本だと思う。この本には、イエズス会の創立者であるロヨラのイグナチオの自叙伝と霊的日記そしてその巡礼的生涯の解説が集録されており、一冊にすべて収まっていることから、その簡潔の度合を知ることができよう。簡潔な文章はわからぬ部分も多いが、くりかえし読むと想像力が豊かに刺激され自分をためす鞭としてすぐれた手だてになるように思う。ちなみに日本にはじめてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、イグナチオの同志としてイエズス会の創業に協力した
(週刊文春 1968年1月29日号)
とつぜん長い引用をしたが、書いた人は作家の島尾敏雄氏、そして彼が一冊の本として挙げた本の訳者はエバンヘリスタと佐々木孝つまり私である。出版社は今はもうなくなった桂書房である。出版年は記事の二年前の1966年(昭和41年)で、私は当時まだイエズス会の哲学生だった。もちろん翻訳作業は、それから遡ること2年前で、そのとき私は広島の修練院で中間期といわれる時期を過ごしていた。記憶が少し消えかかっているが、エバンヘリスタ神父の要請で広島から上石神井の神学院に出張して、すでに出来上がっていた訳稿を原書を片手に推敲したはずだ。
出版が具体的に始まったのは、上京して哲学生になったときである。神学院が神学雑誌の発行など出版活動に積極的な動き出したころで、梅田幸雄さんという人の桂書房がそれに協力したという経緯がある。いま不意に思い出したのは、この梅田さん(少し足が不自由な方だったと思う)と鎌倉あたりを歩いたときの記憶である。あれはどこに行ったのだろう?もしかすると梅田さんのお家に伺ったのだったか。
本はベージュ色の布表紙に、イグナチオの顔写真(彫刻を撮ったもの)を配したカバーのなかなか立派な本で、贈呈者の一人に渡辺一夫さんがいたはず。というのは、彼からの謝礼のお葉書がどこかにまだ残っているはずだからだ。私が書いた編者あとがきの中で、渡辺一夫著『三つの道』(昭和32年、朝日新聞社)の中の言葉を引用しているから、渡辺氏に贈ることは私の意見だったのかも知れない。題字は月刊誌「あけぼの」などで活躍していた女子聖パウロ会のシスターではなかったか。
島尾敏雄さんの文章を久しぶりに読み直してみて真っ先に感じるのは、それが「朝日新聞」の「一冊の本」というコラムで当時無名だった小川国夫さんの『アポロンの島』を紹介したときの雰囲気に非常に似た文章だということである。ちなみにそれは1965年、イグナチオの自伝を紹介する3年前のことであった。
「私を鍛える一冊の本」として島尾敏雄さんが紹介した本の、一応の訳者の一人であるのは名誉なことだが、今の私にとってイグナチオは遠い存在になってしまった。でも一度はかなりの痕跡を私の中に残した人であることは間違いない。自分の一生を総括していく作業で、いま一度彼のことを考えてみる必要があるのではなかろうか。いや間違いなくそうであろう。