相変わらずの暑さの中で

昨年の夏は曜日が一日ずれて明日が日曜だった。夜、見るとはなしに昨夏の記録『病室から』を見ていたら、明日八月二十三日(日)のところはこう書き出されていた。「一挙に秋が来たといった感じだ。梅雨明けがまだかまだかと思っているうちに、確かに夏らしい日が何回かあり、さてこれから本格的な夏かな、と思っていたら、もう秋だ」
 今年とはまたずいぶんの違いだ。西日本ほどではないにしても、今日など相変わらず後頭部がじーんと痛くなってくるような暑さだった。正直何をする気にもならない。本作りも一段落ついて、この夏休むことなく働いてくれた印刷機も静かである。本当はこういう時に、読みかけのまま放置している本でも読み継ぐべきなんだろうが、、恥ずかしいことに小川さんの『弱い神』も、大江健三郎の『水死』も、ともに初め三分の一ほどのところで止まったままである。
 井上ひさしの遺作『一週間』もアマゾンで安くなるのを待っていたが、この分だと購入はさらに先の方がよさそうだ。一時期熱中したペソアさんやマチャードさんの詩集も机横に積まれた本たちのいちばん下あたりで重さにじっと耐えている。
 とかなんとか、今日の午後の図書館での「お話」について語ることを注意深く避けているようだが、別に他意はない。ただやはり制限時間十五分はあまりにも短く、一応は頭の中で準備していたことのあらかたは触れないままだった。まっこんなこともあるさ、とあまり気にしないようにしよう。美子はその間、感心なことに隣でずっとおとなしくしてくれた。そして話終えて、テーブルに着こうとしたとき、近くにいた人たちがやさしく美子が転ばないように支えてくださったのは、生煮えのまま終わりかけた今日のノルマに、爽やかないろどりを添えてくれた。そう、それが今日いちばんの収穫であった、と感謝することにしよう(変なまとめ方!)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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