身に沁みる親切

昨日のことである。いつもの通りばっぱさんを訪ねると、この暑さの中でも快適温度の施設の中で元気にしてくれている。8年前の夏、熱中症で何週間かの病室生活をしなければならなかったときのことを思い出して、ありがたいことだと改めて思った。
 帰りがけにスタッフの一人が、おばあちゃんがベッドから起き上がったときなど、身を支えるために下着などを入れた段ボールの箱に手を置くことがあるので、その代わりにカラーボックスを置きたいのですが、と言う。もちろんその方がだんぜん安全なので、その足でいつもの量販店に行った。今ばっぱさんの部屋にあるものと同じ三段のカラーボックスがあったが、この暑さである、ケースに入っているものより、すでに組み立てられてディスプレーされているものをもらえないか、と近くにいた若い店員さんに聞いてみた。
 店員さんにしてみれば、また新たに組み立てるという余計な作業をしなければならないわけだ。いやな顔をされると、こちらもいやな気分になる、それなら普通どおりの買い方をした方がいいかな、と迷いながら聞いてみたのである。顔立ちのすっきりした若い男は、笑顔を見せながらいいですよ、と即座に承知してくれ、こちらがカートを持っていたにもかかわらず、近くのカートを持ってきて手早くカウンターまで持って行ってくれた。
 当たり前のサービスかも知れないが、最近その当たり前のサービスに出会うことはめったになくなった。ところがこの若い男は終始笑顔で、面倒なことでも即座に応じてくれた。こういう店員さん、係員がどこにでもいてくれたら、なんと生活が楽しくなることか!
 レジからおもての駐車場まで持っていきますよ、と言ってくれたが、これまでの親切で充分と思って、それは断った。ところが表に出て車のリアウインドーを開けたとたん、どこからか別の店員さんが駆けてきて、カートから後部座席へとカラーボックスを一緒に入れてくれた。こちらのありがとうに対しては、いえとんでもないです、またどうぞ、とおっしゃる。嬉しかったですねー。
 町の西はずれに大型ショッピングセンターができたおかげで、最近客足がすこし減ってたいへんだと思うけれど、がんばって欲しいと心から思った。ちなみにこの店の名前は「ジャスト」、どうぞみなさん、ごひいきにしてくだされ。


【息子追記】2002年に南相馬に移住して以来、父がひたすらひいきにしてきたホームセンター「ジャスト」は、父の亡くなって半年後に、まるで父の歴史と歩調を合わせるように閉店し、今は寂しい更地が広がっている(2021年3月3日記)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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