モノについては保守的な人間だと自分を評価しているが、それは単なる思い込みで、意外に新しいモノ好きなのかも知れない。たとえば東芝が個人仕様のワープロを、百万円を大幅に割り込む50万円台で売り出したとき、真っ先に飛びつき、それを使って初めての創作集『途上』を作ったのは1983年(昭和58年)のことだった。
ともあれ私は、アナログからデジタルへの変換など、いろんなものが新方式へ転換される時代に生まれ合わせたわけだ。もちろん変化はどの時代にもあったが、ただ私たちの時代はその速度がかつてないほど急ピッチである。特に私の年代は(ちなみに今70歳だが)、その変化の狭間にちょうど老年期を迎えたものだから、変化についていけない、いや敢えてついていかない、という人がかなり存在する。たとえば創作であれ研究であれ、ものを書く道具としてワープロは使うがパソコンまではとか、ケータイは必要に迫られてなんとか使うが、インターネットまでは、と思っている人が、さて何割だろう、もしかすると九割がたそうでなかろうか。
ところが、書く方もそうだが読む方も、最近その変化が加速している。今日の新聞にも「自分で作る電子書籍」という気になるタイトルの記事が載っていた。つまり電子書籍をアイパッド(米アップル社)やキンドル(米アマゾン)などの端末機で読むのを通り越して、電子書籍そのものを自分で作るという話だ。写真入りの説明によれば、まず厚さが1.5cm以下になるまで本を分割、ついで裁断機で背表紙を切り取り、それをドキュメントスキャナーでデジタル化し、最後はそれを前述の端末機やノートパソコンで読む、ということらしい。
この方法によれば、文庫や新書といった薄い本なら、2、3分で電子化されるという。そして蔵書の電子化を請合う会社も20近くできているという。中には1冊100円以下で引き受けてくれるそうだ。ただし現在の著作権法では、電子化したデータをパソコンのハードディスクに保管しておくのは合法だが、ネット上のレンタルサーバーなどに置くことは、公衆送信とみなされる恐れがあるらしい。要するに法制化が現実に追いついていないというわけだ。
いやいや便利な、というか恐ろしい時代に居合わせたものだ。さて自分はどうするか。確かに、最近では読みたい本を探すのに難渋している。特にこの暑さの中、下の部屋の書棚に探しに行くのは辛いし、本の整理そのものが進んでいない現状にあっては、結局探し出せなくて途中で諦めて帰ってくることの方が多い。
わが貞房文庫の本たちにしても、あと何十年生きられるか分からないわけだし(つまり虫食いだけでなく、化学薬品がたっぷり沁みこんだ紙そのものがいつまで腐食に耐えられるか分からないから)、家中いたるところに分散しているため探し出すだけでも相当のエネルギーを使わなければならず、私の体力そのものがいつまで持つかも怪しいわけだし……
いろいろ書いてきたが、実を言うと気持ちはもう固まっている。つまり電子書籍に飛びつくことはやめよう、これまででさえ、いささか時代に迎合しすぎたきらいがある。ここは潔く旧方式に殉じよう。電子書籍は確かに便利だし場所もとらないし、検索も早いかもしれない。しかし肉体の器官としては眼と指先だけが関与するだけだが、従来の本だと、言うなれば足や手や、ときには重い本を運ぶときには出っ張った腹や背筋までも動員しなければならない。つまりそれだけ全人間的行為なのだ。
現に、先日来の私家本製作の過程で改めて実感したように、いまネット上で読む私の文章と、印刷されて本になったときの文章とでは、まるっきり別のものと言えるほどの違いがあることは疑いようもない事実である。古いと言われてもいい、その素朴な実感を最後まで大切にしよう。(いささかむきになっているのがちょっと心配)
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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