下手をするとごく最近のことまでどんどん忘れていってしまう。いま記憶を正確にしようと思っているのは、私たち夫婦の二回目の中国旅行がどうして中止になったかを考えていて、分からなくなってしまったからだ。漠然とながら予定していたのは二年前、つまり二〇〇八年だったはずだ。その頃、友人のオエストさんが北京大学で講師をしていて、彼の通訳で熱河旅行を企てた。
と、ここまで書いて念のためオエストさんと交わしたメールを調べてみた。するとなんと最初の計画は二〇〇七年の十一月のことだった。そのころ息子夫婦は長野にいたが、いろいろな事情から長野を去って相馬に戻ってくることになっていた。それなら彼らの帰郷(?)に合わせて、彼らと一緒に中国に行こうと考えていたのである。ところがちょうどそのとき、頴美が妊娠したことが判明。それでも当初、頴美はぜひ旅行に同道したいと言うので、そのまま計画を進めた。十月十九日のメールでは、北京のホテル予約の話まで進んでいた。
しかし十一月八日のこちらからのメールにはこう書いている。
「実は残念なお知らせをしなければなりません。昨日予定通り息子夫婦が原町に来たのですが、今朝すぐ隣の産婦人科で穎美(嫁の名前です)が診察を受けたところ、切迫流産の恐れがあるから、安定期に入るまでは旅行をしないようにと言われてしまいました。仕方ありません。さっそく旅行会社にキャンセルしてもらいました。14万円近くのキャンセル料を取られましたが(後注 最終的には数万ですんだと思う)、仕方ありません。いやいやお金のことはともかく、せっかくオエストさんにお会いできるのを楽しみにしていたのに残念でなりません」。
記憶が混乱しているのは、その後、再度中国行きを考えたからである。この方の記憶もあやふやなので、これについてもメール来歴(と言うのだろうか)を調べてみた。すると二度目のチャレンジは昨春のことだった。つまり今度は、生後十ヶ月の愛を連れて頴美たちが里帰りしているとき、老夫婦が後から北京まで飛び、そこでオエストさんと落ち合い、三人で北京→灤平→承徳へと旅をし、その後、撫順に行って頴美の実家を訪問し、そこから皆で帰国するという計画であった。しかし今度は中国滞留最後の後片付けなどでオエストさんの都合がつかず、それならいっそ秋あたりに延期しよう、ということになったわけだ。これも美子の背骨の手術・入院で無理となった。
あゝ、記憶を整理するだけで疲れてしまった。なぜ必死に思い出そうとしたか、といえば、私たち夫婦が熱河を目指せる可能性は、美子のことを考えると、ゼロとは言わないまでも限りなく低いこと、それならここいらで腹を決めて、熱河再訪はあきらめ、想像力と文献だけで私の灤平を描き出す、うまく行けばそこに亡父の姿もぼんやりと浮かんでくるに違いない、と思い始めたからだ。そう、腹を据えて熱河を想像する。
随分と長―い回り道をしたが、父の任務、つまり集家工作(の準備)に話を戻そう。ここに参考になる一冊の本がある。姫田光義・陳平(チェン・ピン)共著の『もうひとつの三光作戦』(青木書店、一九八九年)である。「三光」などという日中戦争の暗部からできれば眼を背けたいのだが、熱河にかかわる真実を知りたいと思い、数年前手に入れた本である。
簡単に言えば、中国現代史を専門とする姫田氏と、中国の在野の抗日戦研究家・陳氏ともに、あの集家工作は「万里の長城線の南北の土地から中国人を完全に追い出し、この長大な地域を<無人区>にするという日本の戦略・政策」であり、それゆえそれを「もうひとつの三光作戦」と位置づけるのである。要するに「集家工作」の裏面というか真の意図は、「この地域の抗日運動を根底から抹殺し、<満州国の西南国境線>の安全を確保するとともに、あわせて北京<当時、北平と呼ばれていた>周辺の防衛をも確保し、華北一帯を南へ南へと伸びていった日本軍の戦線の大後方基地にしようとしたのである」。
あゝ、もしこれが本当だとしたら、父はなんたる工作の片棒をかついだことか! 母のように正式な教員資格も持たず、後から続いた義弟のように獣医という専門職も持たない父、そしてたとえば満鉄のような割のいい集団にも入らなかった父には、純粋な大陸への夢を実現しようにも、辛うじて与えられたチャンスが帝国の僻地熱河(まさに秘境)の、そのまた僻地の灤平の、しがない役人の椅子しかなかったのである。いやいや哀れな男だこと、などと思ってもらっては困る。残された写真の中の父は岡田英次ばりの(何?知らない?「また逢う日までの」のあの美男子、ジャン・マレーばりの、何?これも知らない? 話にならないな)いい男、柔道で鍛えた長身の(少なくとも私より)ダンディーなのです。(彼の写真を見たい方は、ホームページの「家族アルバム」をご覧ください)
だからこそ結核などと言う今なら簡単に直る業病に斃れたのが悔しい、だからこそ死の床で何を思い、何を願ったのか、それを知りたいと遅まきながら思っているのです。
