原発銀座に住んで

■氏の「原発地帯に《原発以後》なし?!」には衝撃を受けた、と言いながら、詩や他のエッセイを紹介するのに急で、その衝撃の理由を全く説明しなかったことに後から気づいた。ここでもう少し詳しく紹介したい。まず冒頭の文章を読んでいただきたい。

福島県は国内最大の電源地帯である。
 水力発電は、只見川流域にある電源開発のダムにかぎっても五九年に運転を開始した田子倉ダム三十九万KWなど九基、計二百三十四万九千三百KW、地熱発電は国内最大の東北電力柳津西山地熱発電所(九五年運転開始)が八万五〇〇〇kW。風力発電も国内最大の電源開発郡山布引高原風力発電所(〇七年運転開始)六万五八九〇KW。そして、東京電力福島第一・第二原子力発電所十基には計九〇五万六〇〇〇KWの出力がある。合計一一五〇万KW超の殆どは首都圏・関東圏に送電される。
 福島県の太平洋岸を地元では浜通りと呼ぶ。その海岸台地の陰に人目から隔離して設置されている原発は、通りすがりの旅行者の視野に入ることは、まずない。

 ■氏の場合はいつもそうだが、詩作品であれ、エッセイであれ、単なる事実が述べられる際でも、そこに使われる言葉はすでに不思議な力を持ち始める。ここに報告されている事実も、調べようと思えば簡単に調べられる事実である。しかし福島県が、いやもっと正確にはこの私もその住人である浜通り地方が、実は一歩間違えばとんでもない惨劇を将来するかも知れない危険地帯であることを改めて気づかせてくれる。
 常磐線の車窓から眺められる美しい海岸線が、実は「炉の冷却時に発生する高温で大量の熱水を海中に、蒸気を空中に捨てている」原発の密集地帯なのだ。■氏は冒頭にデータをあげた後、原発から三十キロ圏内で、原発の持つ危険を表現してきた詩人たちを紹介していく。歌人の遠藤たか子(南相馬市)、詩人のこんおさむ(南相馬市)、吉田真琴(いわき市)、東海正史(浪江町)、箱崎満寿雄(いわき市)などである。いずれももっと早く知るべきだった詩人たちである。この三十キロ圏内に二〇〇二年から住みながら、原発問題と真剣に向き合わないで来た自分の不明と無知をただただ恥じ入るほかはない。
 氏はさらにショッキングな事実を指摘する。その全文をコピーしよう。

 「プルサーマル化しようとしている第一原発三号炉には、七八年に臨界事故を起こしながら、東電はそれをひた隠しに隠し、公表したのはなんと二十九年後の〇七年だったという前科がある。事故は、七八年十一月二日午前三時ごろに発生した臨界状態が七時間三十分間つづき、午前十時三十分ごろになってようやく制御棒の緊急挿入装置を手動で作動させて臨界状態を解消したというものである。東電は、運行日誌と制御棒位置記録を改竄し、国へも報告せずに隠蔽した。この隠蔽は、《事故情報の共有》という技術者倫理のうえで問題があっただけでなく、チェルノブイリ事故の八年前に発生した事故隠しであったことで、チェルノブイリをはじめとするその後の数々の事故を防げたかもしれないという意味でも、犯罪行為だったわけである」。

 原発立地市町村に行くと「原発は環境にやさしい発電方式です」と立て看板が目立ち、テレビでは原発がいかに安全な電源であるかを宣伝するコマーシャルが毎日のように流され、地域の回覧板には定期的に原発の必要性を説く一方的な情報が伝えられる。そして今年、これまで八年間凍結されていたプルサーマル化もついに条件付ながら認められるという新しい局面を迎えているのに、地域住民の関心は低く、立地市町村は原発頼みの財政が破綻しているにもかかわらず、またぞろ甘い汁を吸うことに躍起となっている。地下鉄の車両はどこから地下に入れられたのかを考えると夜も寝られない、という春日三球・照代の漫才があったが、ほんと原発問題を考えると夜もおちおち眠れなくなる。
 ともかく私はこの問題に関しては無知蒙昧もいいところ。とりあえずはしっかり寝て、起きている時は注意おさおさ怠らないようにしたいものだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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